いすみ市沖洋上風力プロジェクト 騒音影響評価目次次へ →

1.はじめに

日本政府は、2050年カーボンニュートラルの実現に向けて、洋上風力発電を再生可能エネルギー拡大の柱と位置づけている。2019年4月に施行された「海洋再生可能エネルギー発電設備の整備に係る海域の利用の促進に関する法律」(再エネ海域利用法)により、洋上風力発電のための海域利用に関する統一的なルールが整備され、事業者の公募・選定手続きが制度化された。2020年12月には官民協議会が「洋上風力産業ビジョン」を策定し、2030年までに10 GW、2040年までに30〜45 GWという大規模な導入目標を設定した。

この目標の実現に向けて、経済産業省と国土交通省は全国の沿岸海域を対象に「促進区域」の指定を進めている。制度上、都道府県からの情報提供に基づき、「準備区域」「有望区域」を経て「促進区域」に指定されると、最大30年間の海域占用許可のもとで事業者の公募が行われる。2025年現在、秋田県沖(能代市・三種町・男鹿市沖、八峰町・能代市沖、男鹿市・潟上市・秋田市沖)、千葉県銚子市沖、長崎県西海市江島沖、新潟県村上市・胎内市沖、山形県遊佐町沖、青森県沖日本海(南側)、北海道松前沖、北海道檜山沖などが促進区域に指定されており、さらに千葉県九十九里沖やいすみ市沖を含む多数の海域が有望区域または準備区域として手続きが進行中である。いすみ市沖はこうした全国的な洋上風力発電推進政策の一環として計画されたものである。(図2)

1.1計画の概要

千葉県いすみ市沖の海洋再生可能エネルギー発電設備整備促進区域において、複数の事業者が大規模な洋上風力発電所の建設を計画している。各事業者は12〜20 MWクラスの大型風車を数十基規模で設置することを検討しており、代表的な構成案として15 MW級35基、12 MW級42基、18 MW級25基といった規模が想定されている(総出力はいずれも450〜525 MW程度)。設置想定海域は、いすみ市の海岸線から約3 kmの沖合である。

このうち、三井物産、RWE Renewables Japan、大阪ガス、K&Oエナジーグループの4社からなるコンソーシアム(以下、4社コンソーシアム)が千葉県に提出した計画段階環境配慮書は、筆者が入手できた唯一の公開資料であり、本書の分析の重要な出発点となっている。いすみ市沖では2022年〜2023年の間に8事業者が計画段階環境配慮書を提出したが、日本の環境影響評価制度では、これらの文書の公開は法定の「縦覧期間」(通常30〜45 日程度)に限られており、期間終了後は事業者がウェブサイトから削除できる。このため、2026年現在、4社コンソーシアム以外の配慮書はインターネット上で参照できなくなっている(この制度上の問題については第5章で詳述する)。同配慮書に記載された騒音予測値の再現検証については第6章で行う。

1.2洋上風力発電の意義:再生可能エネルギーがもたらす便益

本書は騒音影響の分析に焦点を当てるものであるが、その前提として、洋上風力発電が日本社会にもたらしうる便益を明確にしておきたい。筆者は再生可能エネルギーの推進そのものに反対する立場ではなく、むしろその実現を支持する。

第一に、エネルギー安全保障の観点である。日本は一次エネルギーの約87%を海外からの輸入に依存しており(化石燃料が約83%、残りは原子力用ウラン等)、この脆弱性は地政学的リスクや資源価格の変動に直結する。洋上風力発電の普及は、火力発電への依存を低減し、エネルギー供給源の多様化に貢献する。また、原子力発電に対する社会的不安が根強い中、洋上風力は原子力への依存度を引き下げる現実的な選択肢でもある。

第二に、経済効果である。洋上風力発電は建設・運用・保守の各段階で投資と雇用を生み出す。欧州の実績では、大規模洋上風力発電所1か所あたり数千人規模の雇用が建設期間中に創出され、運用開始後も長期にわたって保守・点検要員が必要とされる。ただし、こうした経済効果が地域に実際に還元されるかどうかは、事業の進め方に大きく依存する。いすみ市は人口減少が続く一方で、東京圏からの移住者や別荘利用者が増加しており、豊かな自然環境とサーフィン等の海洋レジャーが移住先としての魅力の核となっている。洋上風力発電所の建設が海岸環境や景観に与える影響が、こうした移住・定住の流れを損なう可能性については十分な検討が必要である。経済効果は事業が地域環境と両立する形で実施されてはじめて実現するものであり、環境の劣化による人口流出の加速という逆効果のリスクも考慮されなければならない。

第三に、CO2排出削減への貢献である。洋上風力は発電時にCO2を排出しないため、火力発電の一部を代替することで排出量の低減に寄与する。ただし、風力発電は風況に依存する変動電源であるため、系統全体の安定化にはバックアップ電源や蓄電設備との組み合わせが必要であり、電力コストへの影響は単純ではない点にも留意すべきである。

以上の便益を認めたうえで、本計画には見過ごすことのできないリスクがある。いすみ市沖計画をめぐっては景観への影響や漁業との共存について議論が行われているが、騒音(とりわけ人間の耳には聞こえにくいが体に影響を及ぼしうる低周波音)のリスクについては、十分な注意が払われていないように見受けられる。

欧州の経験は、このリスクが現実のものであることを示している。デンマークは世界で最も長い洋上風力発電の歴史を持つ国であるが、風車の大型化に伴って住民からの騒音苦情が増加し、2012年に低周波音に対する新たな規制基準を導入せざるを得なかった。すなわち、風力先進国であっても、実際に大型風車を運用してはじめて低周波音の問題が認識され、事後的に規制が強化されたのである。日本にはこうした経験の蓄積がなく、低周波音に対する規制基準も存在しない。

本書は、こうした状況を踏まえ、いすみ市沖の計画が沿岸住民の生活環境にもたらしうる騒音影響を、国内外の事例・日本の法制度・音響工学の3つの観点から検討するものである。

1.3本書の目的と筆者の立場

筆者はいすみ市に居住する一住民として、本計画の規模(海岸からわずか3 kmの距離に12〜18 MW級の巨大風車を数十基配置するという計画)が、地域社会への騒音影響の観点から十分に検討されているかどうかに強い懸念を抱いている。

この懸念を出発点として、筆者は公開されている科学文献、国際的な実測データ、および標準的な音響工学の手法を用いて、可能な限り客観的な騒音影響評価を試みることとした。

いすみ市沖で使用される風車のメーカーは現時点で公表されていないが、中国メーカーは騒音データを公表しておらず、欧州メーカーの多くも非公開としている。そこで本書では、大型風車として唯一、周波数帯域別の詳細な騒音データが公開されているデンマークVestas社の15 MW機(V236-15MW)の実測値を基準として用いる。このデータはエストニア沖の洋上風力計画の環境影響評価で公開されたものであり、低い音から高い音まで31の帯域に分けた騒音出力が記録されているため、精度の高い伝搬計算が可能となる。

騒音の伝わり方については、国際標準の計算規格(ISO 9613-2)に基づく基本計算に加え、風の強さや気温の変化がもたらす「音の増幅効果」を4段階に分けて計算する。この増幅効果の推定には、デンマークやスウェーデンなど北欧諸国で風力発電所の実測データに基づいて開発・検証されたより高精度な伝搬モデル(Nord2000等)の知見を活用している。穏やかな気象条件(音が増幅されにくい場合)から、夜間に海上で音が遠くまで届きやすくなる最悪条件まで、幅を持たせて結果を示す。分析対象は3つの風車配置案(A案:15 MW×35基、B案:12 MW×42基、C案:18 MW×25基)であり、騒音の到達レベルは海岸線・内陸3 km・内陸5 kmの3地点で評価する。

なお、筆者の専門は数学およびコンピューターサイエンスであり、音響工学ではないことを明記しておく。本書は専門家による鑑定評価ではなく、筆者自身が騒音の実測を行ったものでもない。すべての分析は公開されている科学文献、メーカー公表データ、および標準的な音響計算手法に基づいている。また、本書で「最悪条件」として提示したものは、あくまで保守的な仮定の範囲内であり、物理的にありうる最悪の条件を意味するものではない。本書の目的は、専門的な結論を下すことではなく、いすみ市の地域住民が直面しうる問題を公の議論の俎上に載せ、一住民として感じている懸念を客観的なデータに基づいて提示することにある。

1.4規制の不備と住民の権利:日弁連の警告

洋上風力発電の急速な拡大が進む一方で、日本における騒音規制の枠組みは、この新たな環境リスクに十分に対応できていない。日本弁護士連合会(日弁連)は2025年に意見書を公表し、風力発電に関する環境アセスメント(環境影響評価)が実質的に機能していないと指摘した。同意見書は、現行の制度が事業者の自主的な評価に過度に依存しており、住民の健康と生活環境を守るための独立した検証の仕組みが欠如していることを問題視している。さらに日弁連は、2013年にも低周波音(人間の耳には聞こえにくいが体に影響を及ぼしうる低い音)に関する意見書を発表しており、風車騒音の低い音の成分が既存の評価基準では適切に捉えられていないことを早くから警告していた。

こうした規制の不備は、地域住民にとって、事業者が提示する「基準内」という説明を額面通りに受け取ることができない状況を生み出している。日弁連が指摘するように、現行の基準そのものが住民の健康保護に十分であるかどうかが疑問視されている以上、住民自身が入手可能な科学的データに基づいて影響を評価し、理解することの重要性はいっそう高まっている。

この規制の空白は、日本における大規模エネルギー事業の経緯と無関係ではない。大規模事業は雇用や税収などの経済効果をもたらす一方で、環境や生活環境に対するコストの一部は地域住民が負担することになる。過去の事例では、こうしたコストが事前に十分に評価されなかったケースがある。

原子力発電においては、国会事故調査委員会が2011年の福島第一原子力発電所事故に関する報告書で、規制当局と事業者の間に「規制する立場とされる立場の『逆転関係』」が生じていたと指摘している。メガソーラー(大規模太陽光発電所)においては、2012年の固定価格買取制度(FIT)導入以降、開発が全国で急速に進んだが、森林伐採に伴う土砂災害リスクの増大や景観破壊など、環境への影響が各地で認識されるようになった。こうした問題を受けて、全国300を超える市町村が独自の規制条例を制定するに至っている。

陸上での大規模再エネ開発に対する住民の反発が強まるなか、政府の再エネ拡大政策の重心は洋上風力発電に移りつつある。洋上風力は海上に設置されるため土砂災害や森林破壊といった問題は生じないが、沿岸住民に対する騒音・低周波音の影響という別の問題がある。しかし、前述のとおり、風力発電の騒音に関しては国の規制基準も地方自治体の条例も極めて不十分な状態にある。騒音被害は土砂崩れのように目に見える形では現れないため、問題が顕在化するまでに時間を要する可能性がある。

1.5騒音の測定指標:本書で用いる4種類の「ものさし」

本書の議論を読み進めるにあたり、騒音の測定に用いる基本的な指標を予め理解しておくことが有用である。騒音の大きさを表す単位は「デシベル(dB)」であるが、同じ音でも測定に用いる「ものさし」(重み付け)によって数値が大きく異なる。純粋なデシベル(dB(Z))は物理的なエネルギーの大きさをそのまま表すのに対し、人間の知覚に合わせて特定の周波数帯域を強調または減衰させ、「実際に人がどの程度うるさく感じるか」を数値で表すことを「重み付け」という。各重み付けの物理的意味および定量的な違いについては第8章で詳述するが、本書で繰り返し登場する4種類の指標について以下に簡潔に説明する。

Z特性 dB(Z)

重み付けを一切行わず、物理的な音のエネルギーの大きさをそのまま表す指標。

A特性 dB(A)

人間の聴覚が最も敏感な中高周波数帯域(1〜5 kHz)を重視し、低周波数を大幅に差し引くフィルタ。日常的な騒音評価に広く用いられるが、低い音が主体の環境では実際のエネルギーを系統的に過小評価する。

C特性 dB(C)

低周波数をほとんど差し引かないフィルタ。低周波騒音の評価にはA特性よりはるかに適しており、dB(C)とdB(A)の差が15〜20 dB以上になると「低周波騒音の問題が存在する」と判断する国際的基準が複数存在する(ドイツDIN 45680、カナダ・アルバータ州指令038など)。

G特性 dB(G)

20 Hz以下の超低周波音(インフラサウンド)に焦点を合わせた専用フィルタ。エストニアやデンマークなど一部の国が規制に採用している。

A特性に基づく騒音レベル評価は、風車騒音研究の標準的な指標となっている。しかし、A特性で測定すると、大型風車が回転時に主に発生させる低周波エネルギーの大部分が数値に反映されないため、A特性の値だけでは影響の全体像を捉えることができない。このため本書では、A特性に加えてC特性、G特性およびZ特性を用いた評価を並行して行う。この点は本書の分析を通じて繰り返し現れる重要な論点である。

1.6本書の動機:3 kmという距離

10〜20 MWクラスの洋上風車は全高が260〜300 mを超える構造物であり、本来、沿岸部への影響を回避するために沖合に設置されることを前提に設計されている。実際、欧州および中国の大規模洋上風力発電所は海岸線から10 km以上離れた海域に建設されるのが通例である。筆者が調査した限り、10 MWを超える大型風車を海岸から10 km未満に商業規模で設置した事例は、計画段階のものを含めて日本以外には確認できなかった(第2章で詳述する)。ただし、本書の調査は公開情報に基づく限定的なものであり、すべての計画・事例を網羅している保証はない。

この離岸距離の短さは、いすみ市の海域が急深であり浮体式の採用がコスト面で困難であるという事情に起因する。しかし同様に急深な海域を持つノルウェーでは浮体式技術を採用して海岸から100 km以上離れた海域で大規模発電を実現しており、近距離配置は技術的必然ではなく、現時点でのコスト選択である。

海岸から3 kmと聞くと十分に遠いように感じられるかもしれないが、これらの風車が発する騒音の規模は一般的な想像をはるかに超える。デシベルという単位は日常生活では馴染みが薄いため、ここでは騒音の規模を直感的に把握できるように、身近な音との比較を用いる。厳密な音響計算は第11章以降で行う。風車メーカーの公表データによれば、15〜18 MW級の大型風車1基の騒音出力は約115〜118 dBである。これは、現在広く使われている4 MW級風車(それ自体がローター直径117 m、全高150 mの大型構造物である)と比べ、音のエネルギーで約16倍に相当する。いすみ市沖に計画されている25〜35基の風車群の合計騒音出力は約130〜133 dBに達し、これは小規模なスタジアムでのロックコンサート(約135 dB)に匹敵する水準である。穏やかな夜にロックコンサートの音が何キロメートルも先まで届くことは多くの人が経験的に知っている。コンサート会場の場合はスタジアムの壁や周囲の建物が音の拡散をある程度遮るが、いすみ市沖の場合、音は遮蔽物のない海上を伝搬し、水面による反射で増幅される。もちろん、3 kmの距離を伝搬する間に音は減衰するが、問題はこの巨大な音源が24時間365日、風が吹く限り稼働し続けることにある。

以上の背景から、本書では、12〜18 MW級風車が海岸線から約3 kmに設置された場合に、いすみ市の海岸線および内陸部に到達する騒音を推定する。

本書の分析結果を先取りすれば、海岸線に到達する騒音レベルは、気象条件によって約36〜54 dB(A)の幅を持つ。この数値だけでは実感しにくいが、経済産業省の資料によれば日本の大型トラックのアイドリング時の音響パワーレベルは約87 dB(A)であり、これを距離に換算すると、海岸線での風車騒音は以下のような体感に相当する。

ただし、トラックはやがて立ち去るが、風車の音は風が吹いている限り一晩中続く。しかも、3 kmの伝搬によって高い音は空気に吸収されて消え、残るのは低い音ばかりとなるため、窓を閉めても遮断しにくい音となる。

なお、海岸線付近では波の音や風の音が風車騒音を部分的にかき消す(マスキングする)可能性がある。欧州の近岸風力発電所(第2章参照)では、別荘地や砂州など海岸に面した立地が選定されており、この自然のマスキング効果が住民影響の軽減に寄与していると考えられる。しかし、内陸に進むにつれて波の音は急速に聞こえなくなる一方、低い音を主体とする風車騒音は空気中で吸収されにくいため遠くまで減衰しにくい。いすみ市の場合、海岸線から数百メートル以上内陸に入ると波浪音はほとんど聞こえなくなるが、風車からの低周波騒音は依然として到達しうる。すなわち、内陸部の住民にとっては静寂な環境に風車騒音のみが侵入する状況が生じ、海岸線での評価よりも体感的な影響がより深刻となる可能性がある。

1.7北海道「有望な区域」における洋上風力発電の健康リスク:先行研究の警告

本書の分析に先立って、北海道大学の田鎖順太助教が、日本の洋上風力発電計画に関わる健康リスクの予備的評価を公表している1。2023年、経済産業省は北海道日本海側の5区域を洋上風力発電の「有望な区域」に指定したが、風車騒音による住民への健康影響は指定に際して一切考慮されなかった。田鎖はこの5区域に15 MW級風車が設置された場合の騒音影響を、音の物理的な伝搬計算と国勢調査の人口データを重ね合わせることでシミュレーションした2。

田鎖の分析で特に重要なのは、2つの異なる指標で健康影響を評価した点である。第一の指標であるA特性(dB(A))では、不眠症リスクが増大する閾値(40.5 dB(A))を超える地域に約24,700人が居住すると推定された。第二の指標として、80 Hz帯の低周波音レベル(Z特性)が環境省「手引書」の参照値(41 dB)を超える地域を評価したところ、影響を受ける住民は約28,200人に上り、A特性のみの評価よりも広い範囲に影響が及ぶことが示された。低周波帯域の中でも80 Hzが最も広い影響範囲を生じたのは、この周波数帯の音は空気中で吸収されにくく遠くまで届く一方、環境省の参照値が比較的厳しい水準に設定されているためである。

この結果は、日本の騒音規制で標準的に用いられているA特性のみでは、大型風車の低周波音による健康影響の全体像を捉えられないことを意味する。田鎖はこの結果に基づき、「有望な区域」の指定は住民の健康保護の観点から「非合理的」であると結論づけている。北海道の「有望な区域」は、区域の境界が海岸線に直接接しており離岸距離の下限が制度上設定されていない。実際の事業計画では風車は海岸から2〜6 km程度に配置される見込みであり、いすみ市沖計画の3 kmと同程度の距離条件にある。

1.8本書の構成

本書は以下の構成をとる。内容は大きく2部に分かれる。第1部「国内外の事例・法制度・事業者予測の検証」(第2章〜第6章)では、国際的な離岸距離の比較、国内外の浮体式技術の現状、住民健康調査の知見、日本の法制度の構造的不備、および事業者の騒音予測の検証を扱う。第2部「音響工学に基づく騒音伝搬の分析」(第7章〜第12章)では、騒音の物理的基礎から出発し、いすみ市沖の具体的な気象・地形条件のもとでの騒音伝搬計算を独自に行い、住民への影響を定量的に評価する。第13章では両部の分析を統合した結論と提言を述べる。以下に各章の内容を概説する。

第2章では、欧州・中国・日本国内の洋上風力発電所の離岸距離・規模・立地条件を比較し、15〜18 MW級の巨大風車を海岸から3 kmに商業規模で設置する計画が世界的に前例のないものであることを示す。あわせて、浮体式技術の商用実績と発電コストの動向を踏まえ、近距離配置が技術的必然ではなくコスト上の選択であることを論じる。

第3章では、7か国で実施された住民健康調査に基づき、風車騒音に対する住民の不快感が生じる騒音レベルの目安を整理する。また、低周波音に関する海外の規制基準を概観するとともに、大型風車を居住地近くで稼働させた数少ない実例として、スコットランド・ハンターストン試験施設における住民健康被害の経過を報告する。

第4章では、日本弁護士連合会が2013年・2022年・2025年に公表した3つの意見書に基づき、日本の風力発電騒音規制の構造的不備を整理する。第5章では、日本の騒音規制基準と予測制度を技術的観点から分析し、騒音の測り方の問題、予測モデル選択の自由度、住民が意見を述べるための期間の制約といった弱点を指摘するとともに、欧州諸国の規制と比較する。

第6章では、4社コンソーシアムが千葉県に提出した環境配慮書に記載された騒音予測値を、公開されている風車配置情報と国際標準の計算手法を用いて独立に再計算し、その整合性を検証する。

第7章〜第10章は、本書の騒音計算に必要な物理的な基礎知識をまとめた4つの章である。第7章では、デシベル(騒音の単位)の意味から、音が屋外で伝わる際に関わる8つの物理現象(距離による減衰、空気による吸収、地面での反射、障害物の回り込み、気温の変化による音の屈折、風による音の屈折、音が地表付近に閉じ込められる現象、大気の乱れによる散乱まで)を体系的に整理する。第8章では、騒音の測り方にはいくつかの種類があり、測り方によって同じ音でも数値が大きく変わることを説明する。日本の規制で用いられているA特性という測り方は、人間の耳が敏感な中〜高周波の音を重視する一方、大型風車が主に発する低い音のエネルギーの大部分(約96%)を数値から除外してしまうことを示す。第9章では、気象庁やNEDO(国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構)の風況データに基づき、いすみ市沖の季節ごとの気温・湿度・風向・風速を整理し、騒音が増幅されやすい気象条件がどの程度の頻度で発生するかを分析する。第10章では、Vestas社の15 MW機の実測騒音データを基準として、いすみ市沖で想定される12〜18 MW級風車の騒音レベルを推定する。

第11章では、3種類の計算手法(国際標準規格に基づく基本計算、風や気温の影響を4段階に分けて加味した伝搬計算、および音が地表に閉じ込められた場合の理論上限)を構築する。第12章では、3つの風車配置案と3つの地点(海岸線・内陸3 km・内陸5 km)の全組み合わせについて計算結果を提示し、第3章の海外の住民健康調査データや環境省の参照値と照合する。

第13章では結論を、第14章では提言を述べる。本書の分析結果を踏まえ、浮体式洋上風力技術の採用による離岸距離の大幅な拡大を建設的な解決策として提案する。

1.9環境影響評価制度の変革に関する注記

本書で分析した環境影響評価(環境アセスメント)の制度的枠組み(第4章・第5章)は、執筆時点(2026年2月)の制度に基づいているが、この制度はまさに変革の途上にある。

2025年6月、再エネ海域利用法と環境影響評価法(環境アセス法)の2つの法律が改正され、これまで「事業者別」に行われていたサイト調査や系統確保、環境影響評価等を国が主導して行う「セントラル方式」の仕組みが創設された。これにより、複数の事業者による重複した手続きが排除され、プロセスが合理化されるだけでなく、事業者任せになっていた自然環境調査を環境省が自ら実施することになることも期待されている。

これらの改革により、環境影響評価が事業者の裁量に全面的に委ねられるという本書が指摘した構造的問題(第13.3節)は、今後改善される可能性がある。ただし、現時点では新制度の詳細(騒音予測に用いるモデルの指定、低周波音の評価義務、A特性以外の評価基準の導入等)は未確定であり、本書が指摘した技術的課題(すなわち、ISO 9613-2の限界、A特性による低周波音の過小評価、風下屈折・ダクト効果の無視)が新制度のもとで解消されるかどうかは不明である。また、新制度に沿岸住民への騒音影響評価の改善がどの程度含まれるかも明らかでない。

本書の分析は、制度の枠組みにかかわらず成り立つ物理的・音響工学的な知見に基づいている。制度がどのように変わろうとも、大型風車が発する低周波音の物理的性質、海上伝搬の特性、および3 kmという距離での受音レベルは変わらない。

1.10生成AIの活用と検証について

本書の執筆および校正にあたり、大規模言語モデル(Claude, Gemini, Grok)を補助的に活用した。特に音響計算(騒音伝搬シミュレーション)においては、これら複数のモデルを用いて計算結果のクロス検証(相互検証)を行い、数値の整合性と妥当性を確認している。

1田鎖順太「北海道沿岸の『有望な区域』における洋上風力発電の騒音による周辺住民への健康影響に関する検討」『北海道自然エネルギー研究』No.18, pp.13–19, 2024年。
2計算手法の詳細は田鎖順太, 鍛冶光岐, 磯嶋咲良「洋上風車による騒音・健康リスク評価ソフトウェア『H-RISK』の開発」『騒音制御』46(4), pp.176–182, 2022年を参照。本書の第11章で用いる計算と基本的に同じ物理的枠組みに基づくが、風や気温による音の屈折効果は含まれておらず、田鎖自身が「過小評価のおそれがある」と述べている。