いすみ市沖洋上風力プロジェクト 騒音影響評価← 前へ目次次へ →

第1部 国内外の事例・法制度・事業者予測の検証

2.世界的設置基準との乖離:前例の見られない「3 km圏内」への巨大風車設置

本章では、12〜18 MWクラスの大型洋上風車を導入している欧州および中国の主要プロジェクトを調査し、離岸距離といすみ市沖計画との比較を行う。

なお、本章の議論に関連して、2024年6月4日の第213回国会・参議院環境委員会において、川田龍平議員の質問に対し、環境省は、単機出力10 MW以上の洋上風力発電用風車が海岸から10 km以内の距離で稼働している事例は、日本国内外を通じて確認されていない旨を答弁している3。この答弁は、10 MW以上の大型タービンの近岸配置に関する国際的前例の不在について、政府も同様の認識を有していることを示すものである。

2.1先行研究:離岸距離の国際比較

洋上風力発電施設の離岸距離に関する体系的な国際比較研究として、名古屋大学の宮脇勝准教授による査読付き論文がある4。同論文は洋上風力発電量の上位18か国を対象に、GISおよび航空写真で離岸距離を計測し、土地利用の特性とあわせて分類した調査であり、主に景観(シースケープ)保護の観点から分析を行っている。

宮脇の重要な指摘は、欧米諸国の離岸距離が単一の「最低距離法」ではなく、海洋空間計画・戦略的環境アセスメント・自然保護区指定・海域リース制度など、複数の制度的枠組みの組み合わせによって実現されているという点である。同論文中の表現では「欧米の政府は、海洋計画等を用いて、12海里の離岸距離を制限基準に用いている」とされている。各国の状況は以下のとおりである。

同論文はさらに、離岸距離が短い事例はいずれの国でも初期の実証実験・港湾区域・工業地域・人工干拓地に限定されること、また日本には洋上風車のための海洋空間計画が存在せず、こうした距離を実現するための制度的枠組みそのものが欠けていることを指摘している。

ただし、12海里は近年の大規模商業プロジェクトに適用される基準であり、既存の発電所がすべてこの距離を満たしているわけではない。第2.3節で詳述するように、欧州には離岸距離5.5〜17 kmで運転中の発電所が複数存在する。しかし、これらの近岸事例で使用されているタービンは2.3〜8.4 MWの小型〜中型機にとどまり、10 MWを超える大型タービンを住宅地近傍(離岸距離10 km未満)に商業規模で配置した事例は確認されていない。

同論文は景観の観点からの分析であるが、離岸距離の確保は騒音影響の観点からも重要である。本章では以下、騒音影響の観点から独自に事例調査を行い、いすみ市沖計画の離岸距離3 kmの国際的位置づけを検証する。

2.2国際比較における課題:欧州・中国との比較

現在、12〜18 MWクラスの洋上風車が導入されつつある主要プロジェクトの離岸距離を以下に比較する。

比較項目【本計画】いすみ市沖【欧州】He Dreiht
(ドイツ・建設中)
【中国】華潤連江(China Resources Lianjiang)
採用風車18 MW クラス
(想定)
15 MW クラス
(Vestas V236)
18 MW クラス
(MingYang MySE 18.X)
全高 (高さ)約 280〜300 m約 260 m約 280〜300 m
岸からの距離約 3 km約 90〜110 km約 18〜25 km
設置環境沿岸居住地域の近傍水平線の彼方
(視認不可・無音)
沖合の島嶼部周辺
(生活圏から離隔)
リスク評価要検証 (未検証)皆無 (距離による減衰)限定的 (18 kmのバッファ)

2.3欧州の近岸事例:非都市部における200 MW超の洋上風力発電所

欧州には、総出力200 MW超の洋上風力発電所を海岸線から6〜17 km程度の近距離に建設した事例が複数存在する。これらの発電所はいずれも農村部・自然保護区・漁村など非都市部の沿岸に位置しており、周辺環境はいすみ市の海岸線と類似する点がある。以下の表に主要な事例を示す。

表2欧州の非都市部の近岸事例(DK:デンマーク、NL:オランダ、UK:英国)
発電所名国総出力1基あたり基数離岸距離沿岸環境
AnholtDK400 MW3.6 MW11115 km砂丘・草原
FryslânNL383 MW4.3 MW89~6 km湖堤・農村沿岸
Sheringham ShoalUK317 MW3.6 MW8817 km自然保護沿岸(AONB)
LincsUK270 MW3.6 MW758 km平坦農地・海水浴場
Humber GatewayUK219 MW3.0 MW738〜10 km農地海崖
Rødsand 2DK207 MW2.3 MW909 km農村島嶼
Vesterhav Syd & NordDK344 MW8.4 MW415.5〜10 km別荘地・漁村(砂崎)

上記の事例のうち、特に注目すべきはデンマークのVesterhav Syd & Nord(2024年運転開始)である。同発電所はSiemens Gamesa SG 8.0-167 DD(8.4 MW)を合計41基使用し、総出力344 MWを達成しており、本節で取り上げた欧州近岸事例の中で1基あたりの出力が最も大きい。離岸距離は5.5〜10 kmであり、風車先端高は193 mに達する。沿岸環境の面でも特徴的である。Vesterhav Sydはユトランド半島西岸のホルムスランド・クリット沖に位置するが、この海岸は北海とリンクビング・フィヨルドに挟まれた幅わずか数百メートルの細長い砂州であり、沿岸の居住施設はほぼすべてが別荘・貸別荘である。Søndervig、Klegod、Houvig等の集落は常住人口が極めて少なく、夏季の観光客が主な利用者である。Vesterhav Nordはハルボーレ・タンゲ沖に位置し、最寄りの集落はHarboøre(人口約1,300人)およびThyborøn(人口約1,700人)の小規模漁村である。いずれの地点も、海岸背後に内陸集落がほとんど存在せず、北海の波浪音が風車騒音を遮蔽しうる立地条件にある。Vattenfallは視覚的影響の軽減策として、風車を1列配置とし、許可区域内で可能な限り沖合に配置したほか、航空機検知レーダーによる夜間灯火の制御や、翼の同期回転による騒音低減措置を導入している。

公正を期すために、欧州においても大型タービンの近岸配置を志向する計画が存在することに触れておく必要がある。エストニア北西沖洋上風力発電計画(Enefit Green社、Hiiumaa島沖)は、15 MW級タービン約55基による総出力1 GW超の大規模開発を検討しており、最寄りのタービンから海岸までの距離は約12 kmである5。これは本節で取り上げた近岸事例のいずれよりもタービン出力が大きく、欧州においても離岸距離の限界を押し広げようとする動きがあることを示している。しかし、この事例においても以下の2点は重要である。第一に、離岸距離12 kmはいすみ市沖計画の4倍であり、前節で述べた宮脇論文の12か国が確保する距離水準の範囲内にある。第二に、開発者は低周波騒音・超低周波音の専門調査をRamboll社に委託しており、屋外における特定の周波数帯で低周波音が可聴となりうることが報告されている。すなわち、欧州において15 MW級タービンの比較的近岸への配置が検討される場合であっても、12 kmの離岸距離の確保と詳細な低周波音評価が前提条件とされている。なお、本書の音響分析で使用するVestas V236-15MWの1/3オクターブバンド音響スペクトルは、このエストニア計画の環境評価資料から取得したものである(第10章参照)。

上記のとおり、欧州においても総出力200 MW超の洋上風力発電所が海岸から5.5〜17 km圏内の非都市部沿岸に建設されている。さらに、計画段階のエストニア北西沖では15 MW級タービンが離岸距離約12 kmで検討されている。Vesterhav Syd & Nordの8.4 MW機は本節で確認された運転中の事例における最大の単機出力であるが、それでもいすみ市沖計画で想定されている18 MW級風車の半分以下に過ぎない。すなわち、欧州の近岸事例は「大規模発電所を非都市部沿岸の近距離に配置すること自体」は前例があるものの、運転中・計画中を問わず、15 MW以上の超大型風車を離岸距離10 km未満で用いた事例は存在しない。さらに、Vesterhav等の欧州近岸事例では別荘地や砂州など常住人口が極めて少ない沿岸が選定されており、波浪による自然遮蔽が期待できる立地が選ばれている点も重要である。いすみ市沖計画の特異性は、離岸距離の短さだけでなく、風車1基あたりの巨大さ(全高260〜300 m超)と3 kmという距離の組み合わせにある。

2.4ロンドン周辺の事例

ロンドン周辺の全データ一覧 以下は、ロンドンへの電力供給を担うテムズ川河口域(Thames Estuary)にある主要な洋上風力発電所のスペック一覧である。

発電所名1基あたりの出力総基数総出力陸からの距離
London Array3.6 MW175 基630 MW約 20 km
Greater Gabbard3.6 MW140 基504 MW約 23 km
Thanet3.0 MW100 基300 MW約 12 km
Gunfleet Sands3.6 MW / 4.0 MW48 基173 MW約 7 km
Kentish Flats3.0 MW / 3.95 MW45 基139.5 MW約 10 km
いすみ市沖
【本計画】
12〜18 MW25–42 基約 450〜525 MW約 3 km

顕著な「規模」と「距離」の乖離 ロンドン周辺の風車はすべて3〜4 MWクラスの「第1世代〜第2世代」小型機であり、いすみ市沖で計画されている18 MWクラスの「最新巨大機」とは単機出力で5〜6倍の差がある。騒音エネルギーや風車の圧迫感において、これらは全く別の種類の建造物と言える。しかも、上表で最も陸に近いGunfleet Sandsですら海岸から7 km離れており、そこで使われているのはいすみ市沖計画の5分の1以下の出力しかない3.6 MW機である。ロンドン周辺では、小型の風車であっても住環境への配慮から7〜20 kmの距離を確保しているのが現実である。

2.5アバディーン湾洋上風力発電所(EOWDC):距離が近いが苦情がない事例

離岸距離の観点でいすみ市計画に最も近い欧州の事例は、スコットランド・アバディーン湾の欧州洋上風力実証センター(EOWDC)である。主要諸元は以下のとおり:総出力93.2 MW、Vestas V164-8.4 MW/8.8 MW × 11基、離岸距離約2.4〜5 km、翼端高191 m、ローター直径164 m、2018年運開、開発者Vattenfall。立地はアバディーン市(人口約23万人)沖合の都市型立地であり、前節の農村・別荘地とは対照的である。

EOWDCでは運開以降、住民からの騒音苦情はほとんど報告されていない。しかし、この事実をそのままいすみ市に当てはめることはできない。苦情が生じていない背景には、いすみ市とは根本的に異なる4つの条件がある。(1)風車規模:EOWDCの8.4 MWはいすみ市計画の18 MWの半分以下であり、音響エネルギーは大幅に小さい。(2)卓越風向:スコットランドの卓越風は西〜南西であり、風は通常、陸からタービンに向かって吹く。住民がタービンの風下に入る頻度が極めて低く、いすみ市の海風卓越条件と正反対である。(3)海霧による減衰:東風(海からの風)が吹く稀な場合でも、スコットランド東岸特有の「ハール」(haar)と呼ばれる濃い海霧が音の伝搬を減衰させる。(4)都市騒音によるマスキング:最寄りのブラックドッグ・ブリッジ・オブ・ドン地区は幹線道路A90(AWPR)の終点付近に位置し、都市部の高い背景騒音が風車騒音を遮蔽する。いすみ市の静寂な農村環境では、このマスキング効果は期待できない。

2.6日本と酷似する地形「ノルウェー」の教訓:なぜ140 kmも離すのか?

日本と同様に海岸線からすぐに水深が深くなる地形(急深)を持つノルウェーの事例は、近距離配置が唯一の選択肢ではないことを示す参考事例である。ノルウェーは洋上風力の先進国であるが、彼らは「水深が深いから岸の近くに建てる」のではなく、「水深が深いからこそ、浮体式技術を使って、誰もいない遥か沖合に建てる」という道を選んでいる。

地形は似ていても、設計思想が違う ノルウェーの海岸線はフィヨルドなど複雑で急深な地形であり、遠浅の海が広がるドイツやイギリスとは条件が異なる。これは日本の太平洋側の地形と極めて類似している。しかし、ノルウェー政府と事業者は、景観破壊や漁業権、そして沿岸住民への騒音被害を回避するため、あえてコストのかかる「浮体式」を採用し、陸地から完全に見えない距離まで離す政策をとっている。

世界最大級の浮体式ファーム「ハイウィンド・タンペン」 その象徴的な事例が、現在稼働している世界最大級の浮体式洋上風力発電所「ハイウィンド・タンペン(Hywind Tampen)」である。

顕著な距離の格差 ノルウェーは、技術的な困難を乗り越えてでも「140 km」という距離を確保している。それに対し、いすみ市沖の計画は検討の余地がある。

比較項目【本計画】いすみ市沖【ノルウェー】ハイウィンド・タンペン
岸からの距離約 3 km約 140 km
距離の倍率基準いすみ市沖計画の 約46倍 の距離
設置思想コスト重視
(近い浅瀬に安く作る)
環境・共生配慮型
(技術で沖合へ出る)
視覚・騒音巨大な圧迫感・騒音完全に見えない・聞こえない

結論:地形条件は決定的制約とならない いすみ市の海域が急深であり着床式が浅い海域にしか設置できないことは、近距離配置の技術的背景として挙げられている。しかし、同じ地形条件を持つノルウェーは、「ならば浮体式で沖に出る」という解決策を実践している。ノルウェーの事例は、浮体式技術を採用すれば海岸から100 km以上離れた海域での大規模発電が技術的に実現可能であることを示している。近距離配置は急深海域における唯一の選択肢ではなく、コストと技術のトレードオフの結果である。

2.6.1実現可能な未来:ノルウェーの「30 GW構想」

前節で示したハイウィンド・タンペンの成功に加えて、ノルウェー政府は2040年までに洋上風力発電の容量を30 GW(原子力発電所およそ30基分)まで拡大する国家目標を掲げている。重要なのは、この30 GWを主に浮体式技術により沖合で実現しようとしている点である。ノルウェーは沿岸環境の保護コストを「不可能な出費」ではなく「必要な投資」として位置づけている。この30 GW構想を支える発電コストの現状と将来見通しについては、第2.10節で詳しく検討する。

2.7中国の最新事例:中国においても「18 km」

世界で最も積極的に洋上風力を推進している中国においても、18 MW級タービンは沿岸から相当の距離を置いて配置されている。

2024年8月に着工した世界初の18 MW級バッチプロジェクト「華潤連江外海洋上風力発電所」は、陸地から約18〜25 kmの距離を確保している。この距離が騒音、景観、漁業、海底地形のいずれを主因として決定されたかは公開情報からは特定できないが、結果として、同等クラスのタービンを用いるいすみ市沖計画(離岸距離約3 km)の6倍以上の離岸距離が確保されている事実は留意に値する。

2.8国内事例との比較

2.8.1北九州響灘の着床式事例:国内最大の洋上風力発電所

2026年3月、福岡県北九州市若松区沖の響灘において、国内最大の洋上風力発電所「北九州響灘洋上ウインドファーム」(総出力220 MW、Vestas 9.6 MW \(\times\) 25基、着床式、全高約200 m)が商業運転を開始した。立地上の最大の特徴は、港湾区域内の工業地帯沖合に位置し、最寄りの陸域が製鉄所等の立地する響灘臨海工業団地であることである。いすみ市沖のように住宅地が直接海岸線に面する状況とは根本的に異なる。

タービン規模については、9.6 MW機はいすみ市沖に計画されている12〜18 MW級の約半分から3分の2の出力であり、全高も約200 m対約270〜335 mと開きがある。騒音出力については、第10.3節に示す通り、同じVestas社のV164-9.5 MW(響灘の9.6 MW機に最も近い機種)のA特性音響パワーレベルは約113 dB(A)であり、いすみ市沖で想定されるV236-15 MWの118 dB(A)と比較して約5 dB(音響エネルギーで約3倍)低い。さらに立地条件(工業地帯沖合対住宅地前面3 km)の違いを考慮すると、響灘の騒音状況をいすみ市沖計画に直接適用することはできない。ただし、比較対象として挙げられることのある秋田県の能代港・秋田港の洋上風車(4.2 MW、約106 dB(A))に比べれば規模はいすみ市沖計画により近く、9.6 MW級風車25基による大規模ファームの国内運用実績として参照しうる。

2.8.2五島列島の浮体式事例:日本初の商用浮体式洋上風力発電所

2026年1月、長崎県五島市沖において日本初の商用浮体式洋上風力発電所(総出力16.8 MW、Hitachi 2.1 MW \(\times\) 8基、ハイブリッド・スパー型浮体、離岸距離約7〜11 km、水深約130〜140 m)が商業運転を開始した。戸田建設が2013年から環境省実証事業として椛島沖で運転した単機2 MWの経験を基盤とし、単機実証から複数基の商用ファームへ段階的に技術を成熟させたプロジェクトである。

いすみ市沖との比較においては、五島の2.1 MW(ローター直径約80 m)は計画中の12〜18 MW級(ローター直径約220〜260 m)と出力で6〜9倍、ローター受風面積で8〜11倍の開きがあり、騒音影響の直接的な比較対象にはならない。しかし、日本の海域において浮体式洋上風力が商業的に運転可能であることを実証した意義は大きい。浮体式の発電コストについては第2.10節で検討する。

2.8.3北九州響灘沖の浮体式事例:国内初のバージ型商用浮体

2025年5月、北九州市響灘沖において、国内2例目かつバージ型としては初の商用浮体式洋上風力発電所(総出力3 MW、エアロダイン社製2枚ブレード風車 \(\times\) 1基、BWイデオル設計のバージ型浮体、離岸距離約15 km、水深約54〜56 m)が商業運転を開始した。NEDOの実証研究(2019年〜)として運転されていた設備を、2024年3月の実証終了後に参画企業が引き継いで商用化したものである。

五島のスパー型(水深130〜140 m)と本プロジェクトのバージ型(水深54〜56 m)は異なる浮体技術であり、日本国内で複数の浮体方式が商業運転に至っている。また離岸距離15 kmは、いすみ市沖計画の3 kmの5倍であり、浮体式技術が沖合配置を可能にすることを具体的に示す事例である。

2.9浮体式技術の成熟:海外の大規模商用実績と国内の現状

前節で示した国内の商用実績に加え、海外では大規模な浮体式洋上風力がすでに稼働している。以下では、これらの実績と国内の実証研究の経緯を整理する。

海外の大規模商用実績:荒海での運転実証 第2.6節で詳述したノルウェーのハイウィンド・タンペンは、総出力94.6 MW(8.6 MW \(\times\) 11基)で海岸から140 kmの北海沖合に位置し、2023年から商業運転を行っている。同ファームは、北海特有のハリケーン級の暴風、高波、深海という過酷な海象条件に耐えるよう設計されており、太平洋の台風条件に匹敵しうる荒海での浮体式大規模運転が技術的に確立されていることを示している。さらにノルウェー政府は30 GWの洋上風力を主に浮体式で沖合展開する国家目標を掲げている(第2.6.1節参照)。

国内の商用実績:2つの浮体方式が稼働中 日本国内においても、第2.8.2節および第2.8.3節で述べた通り、2026年3月現在、2基の浮体式洋上風力発電所が商業運転中である。五島市沖(スパー型、16.8 MW、水深130〜140 m、離岸距離7〜11 km)と北九州響灘沖(バージ型、3 MW、水深54〜56 m、離岸距離15 km)であり、異なる浮体技術がそれぞれ商業的に成立している。これらは規模としてはまだ小さいが、日本の海域・気象・産業条件のもとで浮体式風力が商業運転可能であることを実証した意義は大きい。

歴史的経緯:福島実証の教訓 日本の浮体式洋上風力の歴史は、2011年に開始された「福島浮体式洋上ウィンドファーム実証研究事業」に遡る。同プロジェクトは最大7 MW級の風車を太平洋上に浮体式で設置し、日本特有の急峻な海底地形と台風を含む厳しい海象条件のもとで浮体式風車が構造的に成立するという技術的事実を実証した。しかし、総事業費約600億円に対して稼働率が4〜36%にとどまり、コスト超過と採算性の問題から全3基が2021年までに撤去された。福島の教訓は、浮体式の構造的実現可能性(太平洋の台風条件を含む)を確認した一方で、技術的野心と商業的現実のバランスの重要性を示したものであった。その後の五島・響灘の成功は、この教訓を踏まえた段階的な技術成熟の成果といえる。

この福島での実証と、第2.6節で述べたノルウェーでの商用化の成功、そして第2.8.2節で述べた五島市沖での日本初の商用浮体式発電所の稼働を合わせると、浮体式技術はすでに実証段階を超えて商用段階に入っている。

結論:技術ではなくコストの問題 以上を総合すると、浮体式洋上風力は海外では荒海条件下での大規模商業運転(ハイウィンド・タンペン)が実現し、日本国内でも2つの異なる浮体方式による商業運転が行われている。現在では12〜18 MWクラスの浮体式プラットフォームも設計段階にある。それにもかかわらずいすみ市沖で着床式・近距離が選択される理由は、端的にいえばコストである。着床式は建設費が安く、海底ケーブルも短くて済むため、事業の採算性が高い。一方、浮体式は建設費が高く、より長い送電ケーブルが必要となる。しかし、この選択は建設コストの削減と住民の生活環境保全のトレードオフを内包している。浮体式技術が利用可能である以上、コスト要因のみで離岸距離3 kmを選択することの妥当性は、住民への影響を踏まえて慎重に検討される必要がある。

2.10浮体式洋上風力の発電コスト:現状と将来予測

前節では、近距離配置の理由がコストにあることを確認した。しかし、「浮体式はコストが高すぎる」という議論に対しては、第2.6.1節で述べたノルウェーの30 GW構想が重要な参照事例となる。ノルウェーは浮体式がすでに採算が取れるから投資しているのではなく、採算が取れるようになることを見越して、大規模な政府補助により技術成熟を促している。ハイウィンド・タンペンは総工費の約40%をENOVA(政府系機関)が補助して初めて成立しており、次回の浮体式入札向けには最大35億USドルの補助枠が設定されている。ノルウェーのエネルギー相は「技術がまだ未成熟で高価なため政府支援が必要」と明言している。すなわち、「急深海域を持つ国が沿岸住民への影響を避けるために、今から大規模に投資する」という政策判断である。日本においても同様の政策的検討が求められる。

以下では、この点をより具体的に検証するため、浮体式の発電コストの現状と将来見通しを整理する。

発電コストの比較に用いられる標準的な指標は「均等化発電原価(LCOE)」である。これは発電所の建設から廃止までのすべてのコストを生涯発電量で割った値で、1 kWhあたりの発電コストを示す。

現在のコスト水準 浮体式洋上風力はまだ商用段階の初期にあり、着床式と比較してコストは高い。業界平均のLCOEは現時点で約320 USD/MWhとされる。ハイウィンド・タンペン(ノルウェー)のLCOEは約120 USD/MWhと報告されているが、これは前述の通り総工費の約40%を政府が補助した後の値であり、補助なしのコストはこれを大幅に上回る。ただし、ハイウィンド・タンペンは卸売市場への売電ではなく油田プラットフォームへの直接送電という特殊な用途であり、LCOEの代表値としての扱いには留意が必要である。一方、Hywind Scotland(2017年)との比較では、わずか6年で設置容量あたりの投資額は約35%低下しており、コスト低減が急速に進んでいることは確かである。

日本国内のデータとしては、第2.8.2節で述べた五島市沖浮体式洋上風力発電所の固定価格買取制度(FIT)による売電価格が36 円/kWh(約238 USD/MWh、2024年平均レート基準)である。参考として、2021年の洋上風力公募(第1ラウンド)で三菱商事系コンソーシアムが落札した着床式プロジェクト(秋田県能代市・三種町・男鹿市沖等)の落札価格は11.99〜16.49 円/kWh(約79〜109 USD/MWh)であったが、この価格は競合他社の入札額を大幅に下回る水準であり、その後の資材高騰・円安等により事業が成立しなくなったことから、三菱商事は2025年8月に3海域すべてから撤退を表明した6。したがって、この価格は着床式洋上風力の実現可能なコスト水準を反映したものとは言えない。ただし、五島は総出力16.8 MW(2.1 MW \(\times\) 8基)と極めて小規模であり、大型タービンによるスケールメリットが得られていない点には留意が必要である。ハイウィンド・タンペン(94.6 MW、8.6 MW \(\times\) 11基)と比較しても規模で約5分の1であり、五島のコストは浮体式技術の初期段階における小規模プロジェクトの値として位置づけるべきである。

将来のコスト低減予測 浮体式洋上風力のコストは今後さらに低下すると複数の独立した機関が予測している。DNV(Det Norske Veritas、ノルウェーに本部を置く独立系エネルギー認証・リスク評価機関)のエネルギー転換見通し(2022年)は2035年までに約61 USD/MWh、2040年までに約56 USD/MWhへの低減を予測している。米国エネルギー省のFORCEモデルも2035年までに約64 USD/MWhを推計している。DNVが2023年に実施した世界244名の業界専門家調査では、回答者の60%が「2035年までに補助なしで商業的に成立する」と回答している。ただし、これらはいずれも楽観的なシナリオに基づく予測であり、固定式との比較では依然として浮体式のコストが高い状態が続くとされている。また将来コストは世界全体の累積導入量に大きく依存するため、各国が今から投資して技術成熟を促すことが不可欠である。

比較の見通し 以下に主要な数値を比較する(USD/MWh換算)。日本の電力料金は円建てであるため、為替レートによって大きく変動する。以下では2024年の平均為替レート(1 USD \(\approx\) 151 JPY)を基準とし、各料金の出典を注記する。

表5浮体式洋上風力の発電コスト比較(USD/MWh)
区分項目コスト(USD/MWh)
現在の浮体式LCOE
ハイウィンド・タンペン(政府補助後)約120
五島市沖(FIT価格)\({}^d\)約238
業界平均約320
比較対象:日本の着床式洋上風力(2021年公募)
秋田県沖等(落札価格、撤退済)\({}^e\)約79〜109
将来予測
DNV予測(2035年)約61
DNV予測(2040年)約56
米国エネルギー省FORCEモデル(2035年)約64
比較対象:電力料金
日本・家庭用\({}^a\)約190〜270
日本・産業用(大口)\({}^b\)約115〜190
日本・卸売市場(JEPX)\({}^c\)約55〜100
ノルウェー・家庭用約130
ノルウェー・卸売市場約55

\({}^a\) 家庭用:政府補助適用時の約29 円/kWh(\(\approx\)190 USD/MWh)から、補助なし・高消費帯の約41 円/kWh(\(\approx\)270 USD/MWh)までの幅がある(GlobalPetrolPrices 2025年6月、Intratec 2025年5月)。
\({}^b\) 産業用:大口需要家向け約17.5 円/kWh(\(\approx\)115 USD/MWh、Intratec 2025年5月)から、中小企業向け約30 円/kWh(\(\approx\)190 USD/MWh、GlobalPetrolPrices 2025年6月)までの幅がある。
\({}^c\) 卸売市場:JEPX日前市場のスポット価格は年度・季節により大きく変動し、近年の月平均は約8〜15 円/kWh(\(\approx\)55〜100 USD/MWh)の範囲にある。
\({}^d\) 五島市沖:再エネ海域利用法に基づく洋上風力公募におけるFIT価格36 円/kWh。競争入札ではなく固定価格。総出力16.8 MW(2.1 MW \(\times\) 8基)の小規模浮体式プロジェクト。
\({}^e\) 着床式:2021年公募(第1ラウンド)における三菱商事系コンソーシアムの落札価格。能代市・三種町・男鹿市沖11.99 円/kWh、由利本荘市沖11.99 円/kWh、銚子市沖16.49 円/kWh。ただし、資材高騰等により2025年8月に3海域とも撤退が表明されており、この価格での事業は実現していない。

総括 以上のデータから、浮体式洋上風力の発電コストについて以下の点が明らかになる。

第一に、現在の浮体式LCOEの位置づけは、比較する電力価格によって大きく異なる。ハイウィンド・タンペンの約120 USD/MWhは日本の家庭用電力料金(約190〜270 USD/MWh)を大幅に下回り、大口産業用電力料金(約115 USD/MWh)ともほぼ同等である。一方、卸売市場価格(日本JEPX約55〜100 USD/MWh、ノルウェー約55 USD/MWh)との比較では、現時点の浮体式LCOEはまだ高い。ただし、ハイウィンド・タンペンは卸売市場とは無関係に油田プラットフォームに直接送電しており、また業界平均の320 USD/MWhは初期プロジェクトのコストを反映した値であるため、LCOEの代表値には幅がある点に留意が必要である。五島市沖の約238 USD/MWh(FIT価格36 円/kWh)はハイウィンド・タンペンの約2倍であるが、総出力で約5分の1(16.8 MW対94.6 MW)、タービン単機出力で約4分の1(2.1 MW対8.6 MW)と規模が大幅に小さく、スケールメリットが得られていない。なお、前述のとおり2021年公募の着床式落札価格(約79〜109 USD/MWh)は事業者の撤退により実現しておらず、日本における着床式洋上風力の実際のコスト水準はこれより相当高い可能性がある。なお、日本の電力料金は為替レートの変動(2024年は1 USD \(\approx\) 140〜162 JPYの範囲で推移)および政府補助金の有無によって大きく変動するため、上記の比較はあくまで2024年平均レートに基づく目安である。

以上を総合すると、浮体式洋上風力は現時点では補助なしに着床式と競争できる水準にはなく、ノルウェーを含む各国が大規模な政府補助によって技術成熟を促している段階にある。しかし複数の独立した予測は、2035年前後には補助なしでも産業用・家庭用電力料金と競合しうる水準に達する可能性を示している。急深海域を持つ日本にとって、この技術成熟の過程に早期から参加し、浮体式を将来の選択肢として真剣に検討することは、エネルギー政策と住民保護の両立という観点から合理的な方向性である。「現時点でコストが高い」という事実は、近距離・着床式を唯一の選択肢とする根拠にはならない。

3第213回国会 参議院環境委員会 第11号(2024年6月4日)川田龍平議員質問に対する政府答弁。国会会議録検索システムhttps://kokkai.ndl.go.jp/より閲覧可能。
4宮脇勝「洋上風力発電施設の景観に関わる『海洋計画』と『離岸距離』に関する国際比較—洋上景観保護のための風車ゾーニングと最小離岸距離に関する調査」『都市計画論文集』Vol.57, No.3, pp.546–553, 2022年10月。
5Ramboll (2022) “North West Estonia Offshore Wind Farm, Estonia: Low Frequency Noise and Infrasound Survey,” Ref. 1510055015-001, 8 December 2022.
6三菱商事株式会社「国内洋上風力発電事業に係る事業性再評価の結果について」2025年8月27日。