第2部 音響工学に基づく騒音伝搬の分析
本章では、具体的な計算規格に入る前に、屋外における音の伝搬を支配する物理現象を体系的に整理する。ここでは各現象の物理的意味および基本的な関係式を示し、後続の数値計算との対応関係を明確にする。
※本章は、音響工学の専門的な背景を持たないが物理的な仕組みを理解したいと考える読者(筆者自身もその一人である)に向けた、音響物理学の基礎解説である。騒音の計算結果のみに関心があり物理的背景の詳細を必要としない読者は、第8章に進んでもよい。
風力発電騒音の議論に入る前に、音そのものの物理的性質と、デシベル表示の意味を整理する。
(1) 音は空気の圧力振動である 音とは、空気中の圧力の微小な時間的変動である。音源(たとえば風車のブレード)によって空気が振動すると、空気分子は平衡位置の周囲で前後に振動し、圧縮と膨張が交互に生じる。この圧力変動が波として空間を伝搬する。
瞬間的な音圧を \(p(t)\) とすると、これは静的な大気圧 \(p_0\) の周囲で数Pa以下の微小な変動を示す量である。通常の会話音はおよそ0.02〜0.2Pa程度、風力発電機から数km離れた地点ではそれよりさらに小さい変動となる。
(2) 周波数とは何か 音の周波数 \(f\) [Hz] は、1秒間に何回振動するかを表す量であり、振動の周期 \(T\) の逆数である。
たとえば100Hzの音は1秒間に100回、1000Hzの音は1秒間に1000回振動する。周波数が低いほど「低い音」、高いほど「高い音」と感じられる。風力発電騒音は主に50〜500Hzの低〜中周波成分が支配的であり、遠距離では特に低周波成分が残りやすい。
(3) 音波の伝搬と音速 音は空気中を伝わる縦波(疎密波)である。空気分子そのものが音源から受音点まで移動するのではなく、分子の振動が隣接分子へと連鎖的に伝達されることで、波としてエネルギーが伝搬する。音の伝搬速度を音速 \(c\) と呼ぶ。理想気体近似のもとでは、
で表される。ここで \(\gamma\) は比熱比(空気では約1.4)、\(R\) は普遍気体定数(\(\approx 8.314\,\mathrm{J/(mol \cdot K)}\))、\(T\) は絶対温度、\(M\) は平均分子量(空気では約 \(0.029\,\mathrm{kg/mol}\))である。常温付近では、音速は実用上
(\(T_C\) は摂氏温度、単位 m/s)で近似できる。たとえば0℃では約331 m/s、20℃では約343 m/s、30℃では約349 m/sである。すなわち、暖かい空気の中では音はわずかに速く進む。この温度依存性は一見些細に思えるが、数kmの距離を伝わるうちに音の経路を大きく曲げる原因となる(段落(5)で後述)。
音の伝搬経路は、単純な直線とは限らない。音波は光と同様に、「伝搬に要する時間が最小となる経路」を選ぶ。これは最小時間の原理(フェルマーの原理)として知られており、光学におけるスネルの屈折法則と数学的に等価である。ある媒質中で音速が場所によって異なる場合、音波は常に音速の小さい側へ屈折する。たとえば、上空の空気が地表付近より暖かい場合、上空では音速が速くなり、音は地面に向かって曲がる。後述する温度逆転や風速勾配による遠距離伝搬の強化は、まさにこの屈折効果によって生じる。
(4) 音のエネルギーと音の強さ 音波はエネルギーを運ぶ。単位面積あたりのエネルギー流束を音の強さ \(I\) [W/m\(^2\)] と呼ぶ。音圧 \(p\) と音の強さの間には、
の関係がある(\(\rho\) は空気密度、\(c\) は音速)。すなわち、音のエネルギーは音圧の二乗に比例する。音圧が2倍になればエネルギーは4倍になるという、この「二乗比例」が後述するデシベル表示の重要な背景となる。
(5) デシベルとは何か ― 人間の聴覚と対数表示 音の物理量(音響パワーや音の強さ)はエネルギー量であるが、人間の聴覚はこれに対して線形には応答しない。心理物理学的研究によれば、知覚される音の大きさ(ラウドネス)は物理的な音の強さ \(I\) に対しておおよそべき乗則
で近似される(Stevensのべき法則)。指数 \(x\) は1より小さい値をとる。つまり、物理的な強さが数倍に増加しても、知覚上はより緩やかな増加として感じられるので、「2倍のエネルギー」が「2倍の大きさ」に感じられるわけではない。
このように、知覚量が物理量のべき乗に比例する場合、対数をとることで関係は線形化される(\(\log(I^x) = x \log(I)\))。広いダイナミックレンジを扱い、かつ人間の知覚特性と整合的な尺度を得るために、音の大きさは対数スケールで表される。
(a) 音響パワーレベルの定義 音源が単位時間あたりに放射する音エネルギーを音響パワー \(W\) [Watt] と呼ぶ。音響パワーレベル \(L_W\) は、
で定義される。ここで \(W_0\) は基準音響パワーであり、\(W_0 = 10^{-12}\) Watt と定められている。この値は、空気中における可聴下限に対応する基準強さ \(I_0 = 10^{-12}\,\mathrm{W/m^2}\) と整合するように国際的に定義されたものである。係数10は単位定義上の選択であり、強さが10倍になると10 dB増加するという扱いやすい性質を与える。
たとえば \(L_W = 120\) dB の場合、
より \(W = 1\) Watt となる。すなわち、120 dBの音響パワーレベルは約1ワットの音響出力に相当する。いすみ市沖の風車1基はまさにこの水準であり、電気出力15 MWに比べれば微小だが、このエネルギーが空気の圧力振動として数km先まで届く。
(b) 音の強さとそのレベル 音響パワーが空間中に拡散すると、単位面積あたりのエネルギー流束(音の強さ)\(I\) [Watt/m\(^2\)] が定義される。音の強さレベル \(L_I\) は
で定義される。基準強さは \(I_0 = 10^{-12}\) Watt/m\(^2\) である。
(c) 音圧レベルの導出 音の強さと音圧には \(I = p^2/(\rho c)\) の関係がある(\(\rho\) は空気密度、\(c\) は音速)。すなわち、音の強さは音圧の二乗に比例する。この関係を強さレベルの式に代入すると、
となる。対数の性質 \(\log(a^2) = 2\log(a)\) を用いると、
が得られる。これが音圧レベルの定義である。したがって、音圧レベルにおける「\(20\)」という係数は、強さが音圧の二乗に比例することから自然に導かれるものである。ここで基準音圧 \(p_0 = 20\,\mu\mathrm{Pa}\) は、空気中における可聴下限に対応する国際的な定義値であり、温度や湿度によって変化するものではない。対応する基準強さ \(I_0 = 10^{-12}\,\mathrm{Watt/m^2}\) は、標準大気条件下で \(I_0 = p_0^2/(\rho c)\) に一致するよう定義されている。
(d) デシベルの意味 デシベルは物理量そのものではなく、基準値に対する比の対数表示である。
強さが2倍 → \(10 \log_{10}(2I/I_0) = 10 \log_{10}(I/I_0) + 10 \log_{10}(2)\approx 10 \log_{10}(I/I_0) +3\) dB
強さが10倍 → +10 dB
音圧が2倍 → 約+6 dB
この対数特性により、非常に広い物理量の範囲を扱いやすい数値に圧縮して表現することができる。
この性質は、複数の音源が存在する場合に特に重要である。同じ音響パワーレベルを持つ音源が2台ある場合、エネルギーは2倍になるため、\(10 \log_{10}(2) \approx 3\) となり、総合レベルは+3 dB増加する。さらに4台の場合はエネルギーが4倍となるため、\(10 \log_{10}(4) = 10 \log_{10}(2 \times 2) = 3 + 3 = 6\) で+6 dBの増加となる。したがって、同一仕様の風力発電機が複数存在する場合、単純にdB値を足し合わせるのではなく、エネルギーとして合成し、対数変換を行う必要がある。
(6) デシベルの非線形性と周波数別合成 前節で定義したように、\(L = 10 \log_{10}(I/I_0)\) であるから、\(10^{L/10} = I/I_0\) となる。すなわち、\(10^{L/10}\) はその周波数帯における基準強さ \(I_0\) に対する強さの比そのものである。
デシベルは対数表示であるため、単純な足し算はできない。たとえば同じレベル \(L\) の音源が2つある場合、合成レベルは
となる。すなわち、同じ音源が倍になると音圧レベルは3 dB増加する。4倍なら+6 dB、10倍なら+10 dBである。この対数特性を理解しないと、複数風車の合成音や音源レベルの変化を正しく評価できない。
音は単一周波数ではなく、多数の周波数成分を含む。各周波数帯の音は物理的には独立したエネルギー成分であり、強さはエネルギーとして加算される。したがって、総合強さは \(I_{\mathrm{total}} = \sum_f I(f)\) となる。これをレベル表示に戻すと、
が得られる。ここで行っている操作は、(1) 各周波数帯のdB値を強さに戻す、(2) 強さを物理的に加算する、(3) 再び対数表示に戻す、という三段階の変換である。したがって、dB値をそのまま足し合わせることは物理的に誤りであり、必ず強さに戻してから合成する必要がある。この操作は、複数風車の合成や、A特性・C特性の算出においても同様に適用される。
(1) 幾何学的拡散(距離減衰) 理想的な点音源が自由空間中で放射する音エネルギーは、球面状に拡散する。半径 \(r\) の球面の表面積は \(A = 4\pi r^2\) である。音源が放射する音響パワー \(W\) が一定である場合、単位面積あたりのエネルギー密度(音の強さ)\(I\) は
となり、距離の二乗に反比例して減少する。これを逆二乗則という。距離が遠くなるほど、同じエネルギーがより大きな球面に分散するため、音が薄まっていくイメージである。音の強さレベルに換算すると、
となる。ここで音響パワーレベルの定義 \(L_W = 10 \log_{10}(W/W_0)\) を用いると、
となる。標準条件では \(W_0 = 10^{-12}\) W、\(I_0 = 10^{-12}\) W/m\(^2\) であるため、\(10 \log_{10}(W_0/I_0) = 0\) となり、さらに \(10 \log_{10}(4\pi r^2) = 10 \log_{10}(4\pi) + 20 \log_{10}(r)\) であるから、\(10 \log_{10}(4\pi) \approx 11\) dBより、
と近似できる。この式は、点音源が自由空間で放射する場合の基本的な距離減衰式である。距離が2倍になると \(20 \log_{10}(2) \approx 6\) dBの減衰が生じる。距離減衰は周波数に依存せず、音源の種類に関わらず常に作用する最も基本的な減衰機構である。数kmスケールの伝搬では、この幾何減衰がまず支配的であり、他の要因はその上に重畳される形で作用する。
(2) 大気吸収 音波は空気分子の振動を伴う波動であり、その一部のエネルギーは分子間の内部緩和過程を通じて熱エネルギーに変換される。これが大気吸収である。吸収係数を \(\alpha(f)\) [dB/m] とすると、距離 \(r\) における吸収減衰は
で表される。\(\alpha(f)\) は周波数依存性が強い。また温度 \(T\) と相対湿度 \(RH\) に依存する。典型的には 1 kHz 以上で顕著な影響が現れるが、100 Hz 以下では極めて小さい。
\(\alpha(f)\) は周波数が高いほど大きくなる。典型的な海岸付近の気象条件(約 15–20 ℃、相対湿度 70–80 %)では、おおよそ次のような値となる:
| 周波数 | 吸収係数 \(\alpha\) [dB/km] |
|---|---|
| 63 Hz | 約 0.05 |
| 125 Hz | 約 0.1 |
| 250 Hz | 約 0.3 |
| 500 Hz | 約 1 |
| 1 kHz | 約 4 |
| 2 kHz | 約 10 |
| 4 kHz | 約 25 |
例えば 5 km 伝搬した場合、
63 Hz: 約 0.25 dB の減衰
125 Hz: 約 0.5 dB の減衰
500 Hz: 約 5 dB の減衰
1 kHz: 約 20 dB の減衰
2 kHz: 約 50 dB の減衰
となる。すなわち、高周波成分は数 km の距離で大きく減衰する一方、低周波成分はほとんど減衰しない。このため、遠距離では高い音は消えやすく、低周波が相対的に支配的となる。風力発電騒音はもともと低〜中周波成分が卓越しているため、数 km スケールでは温度や湿度の変化による大気吸収の影響は総合レベルに対して比較的小さい場合が多い。
なお、大気吸収の物理的機構は主として酸素(O\(_2\))および窒素(N\(_2\))分子の振動緩和過程に起因する。この緩和過程の時定数は温度および湿度に依存するため、湿度の変化は吸収係数のピーク周波数を移動させる効果を持つ。高湿度条件では中周波域(数百 Hz〜数 kHz)の吸収が変化し得るが、風力発電騒音において支配的な低周波域(63〜250 Hz)での吸収は湿度に対する感度が小さい。したがって、本検討の対象周波数範囲では、湿度変動による吸収係数の変化は結果に対して副次的な影響にとどまると判断される。
(3) 地面効果と干渉 音波は地面または海面で反射し、受音点では直接音と反射音が重ね合わされる。受音点での総音圧は
で表される。両者は波として重ね合わされるため、位相差が重要となる。直接経路と反射経路の長さの差を \(\Delta r\) とすると、位相差は
で与えられる(\(\lambda\) は波長)。
\(\Delta r = n\lambda\) のとき、強め合い(増幅)
\(\Delta r = (n+\tfrac{1}{2})\lambda\) のとき、弱め合い(減衰)
が生じる。したがって、受音点の位置および周波数に応じて、ある周波数では音圧が強まり、別の周波数では抑制される。波長は
であるため、高周波ほど干渉パターンは細かくなり、低周波ではより広い距離スケールで干渉が生じる。海面は音響的にほぼ硬質境界とみなされ、反射係数が高い。そのため洋上では干渉効果が比較的強く現れる。一方、柔らかい地面では一部が吸収され、干渉は弱まる。このような地面効果は、周波数依存の増減を生じさせるため、伝搬計算において考慮すべき重要な要素である。
(4) 回折 音波は障害物の縁で回折し、幾何学的な遮蔽域にもエネルギーが回り込む。回折の程度は波長と障害物の寸法の比に依存し、波長が障害物の寸法に対して大きいほど回折は顕著となる。風力発電騒音の低周波成分(63〜250 Hz)は波長が約 1.4〜5.4 m であり、住宅、防音壁、丘陵などの一般的な障害物に対して効率的に回折する。したがって、交通騒音(主に中〜高周波)に対しては有効な遮蔽効果を持つ防音壁や地形的障害物であっても、風力発電騒音の低周波成分に対しては遮蔽効果が大幅に低下する。この特性は、内陸部における風力発電騒音の評価において特に重要であり、建物や地形による「自然の防音効果」を過大に見積もるべきではないことを意味する。
(5) 温度逆転と安定成層 前節で述べたように、音は「伝搬時間が最小となる経路」を選ぶ。音速は温度に依存し、
で近似されるため、空気の温度が鉛直方向に変化すると、音速も高さによって変化する。音速が高さ \(z\) の関数 \(c(z)\) となる場合、音波は音速の小さい側へ連続的に屈折する。これは光の屈折と同様の原理であり、音線は音速勾配に従って曲線を描く。
通常、日中の陸上では地表付近が暖められ、上空ほど温度が低下する。このとき音速は地表付近で速く、上空で遅くなる。その結果、音波は上方へ屈折しやすく、地表付近では減衰が促進される。これを不安定成層という。一方、地表付近が冷たく、上空が相対的に暖かい場合、すなわち温度が高度とともに増加する場合を温度逆転という。このとき音速は上空で速くなり、音波は地表側へ屈折する。すなわち、二点間の最短時間経路は、一旦上空の高音速領域へ向かい、その後再び地表へ戻るような曲線となる。その結果、音は地表付近に集中しやすくなり、遠距離まで減衰せずに到達する。
この屈折現象の原理は、夏季に路面が揺らめいて見える蜃気楼と本質的に同じである。蜃気楼では、高温のアスファルト路面によって加熱された空気が路面直上に層をなし、光速(屈折率)の鉛直勾配を形成する。この場合、高温(高速)の層が地表側にあるため、光は地表から上方へ屈折し、空の像が路面に映り込んで見える。音の温度逆転は、温度勾配の向きが蜃気楼と上下逆の状況である。温度逆転では高温(高音速)の層が上空に位置するため、音波は下方(地表方向)へ屈折する。物理法則は同一(波は伝搬速度の遅い側へ曲がる)であるが、温度勾配の向きが逆であるため、屈折の方向も逆になる。蜃気楼が路面の幻像を遠方まで見せるように、温度逆転は音を遠方まで地表に沿って届かせるのである。
日本の太平洋沿岸では、特に夏季においてこの効果が顕著となり得る。陸域は強い日射により高温となる一方、黒潮の影響を受ける太平洋の海水は相対的に冷たく保たれる。その結果、海上では下層が冷却され、上層が相対的に暖かい安定成層が形成されやすい。夜間および早朝には、海面付近の冷却が進み、逆転層がさらに強化される可能性がある。このような安定した海洋境界層では、音波は持続的に地表方向へ屈折し、数 km 以上の距離でも減衰が抑制される。したがって、夏季の太平洋沿岸環境では、自由空間減衰のみを仮定した場合よりも高い音圧が観測され得る。
(6) 風速勾配による屈折 空気が静止している場合、音速は温度によって決まる。しかし実際の大気中では風が存在するため、音波の地面に対する見かけの伝搬速度は音速 \(c\) と風速の合成として表される。音の伝搬方向と同じ向きの風速成分を \(u(z)\) とすると、高さ \(z\) における有効音速は
で与えられる。ここで重要なのは、風速のうち音の進行方向に平行な成分のみが有効音速に寄与するという点である。風速の大きさを\(V(z)\)、風向と音の伝搬方向のなす角を\(\theta\)とすると、\(u(z) = V(z)\cos\theta\)であり、追い風(\(\theta = 0\))で最大、横風(\(\theta = 90^\circ\))でゼロとなる。
通常、大気境界層では地表付近では風速が小さく、高度とともに風速が増加する。すなわち、
である。このとき、風下方向(音の進行方向と風向が一致する場合)では、上空ほど \(c_{\mathrm{eff}}\) が大きくなる。音波は最小時間経路を選ぶため、有効音速の小さい側、すなわち地表側へ屈折する。その結果、音線は緩やかに地面方向へ曲がり、地表付近にエネルギーが集中する。これにより、自由空間減衰のみを仮定した場合よりも遠距離での音圧が高くなることがある。
一方、風上方向(音の進行方向と風向が逆の場合)では、
となり、上空ほど有効音速は小さくなる。この場合、音波は上方へ屈折し、地表から離れていく。結果として、地上での音圧レベルは急速に低下する。
例えば、地表での風速が 2 m/s、高度 150 m で 8 m/s の場合、上空では有効音速が 6 m/s 程度大きくなる。音速自体は約 340 m/s であるため、相対変化は数 % に過ぎないが、数 km の伝搬距離にわたって積算されることで、顕著な屈折効果を生じる。
この風速勾配による屈折は、温度勾配による屈折と同様に連続的な現象であり、音波が鏡で反射されるのではなく、連続的に曲げられることによって生じる。洋上では地表面粗度が小さいため、風速勾配が安定して形成されやすく、特に風下方向では数 km の距離で音の到達性が大きく変化する可能性がある。
(7) 音響ダクトと有効伝搬次元の変化 前節で述べた温度逆転および風速勾配による屈折が十分に強い場合、音波は上方へ進もうとしても連続的に地表方向へ曲げられ、上層へ逃げることができなくなる場合がある。このとき、上空の高音速層は鏡のように反射しているわけではないが、屈折の累積効果により、音が下層に閉じ込められたような状態が形成される。これを音響ダクト(acoustic duct)と呼ぶ。
通常の自由空間では、音響パワー \(W\) は球面状に拡散し、距離 \(r\) における強さは
となる。すなわち、三次元空間への拡散により\(1/r^2\) の減衰が生じ、距離が 2 倍になるごとに約 6 dB 減衰する。しかし、音響ダクトが形成されると、音波は鉛直方向への拡散が制限され、主として水平方向へ伝搬する。この場合、エネルギーは実質的に円筒状に広がると近似でき、
に近づく。すなわち、有効的な伝搬次元が三次元から二次元へと低下したかのような挙動を示す。この場合、距離が 2 倍になると
の減衰となり、自由空間の場合の \(-6\) dB に比べて減衰が大幅に小さくなる。実際の大気中では完全な二次元伝搬が無限距離にわたって持続するわけではないが、数 km から十数 km の範囲で自由空間減衰よりも著しく小さい減衰率が観測されることがある。
日本の太平洋沿岸では、夏季においてこの条件が形成されやすい。陸域は日射により高温となる一方、黒潮の影響を受ける海面は相対的に低温である。その結果、海面付近に冷たい層が形成され、上層が相対的に暖かい安定成層が発達する。さらに、洋上では地表面粗度が小さいため、風速勾配が明瞭に維持されやすい。温度逆転と風速勾配が同時に存在すると、下向き屈折は強化され、音響ダクトが形成されやすくなる。したがって、日本沿岸の夏季において、音波が地表付近に捕捉され、自由空間減衰よりも小さな減衰率で長距離伝搬する状況は、決して稀な現象ではない。
(8) 大気乱流による散乱 大気中には様々な空間スケールの乱流渦が存在する。音波がこれらの乱流渦と相互作用すると、音のエネルギーの一部が本来の伝搬方向から散乱される。この散乱効果は二つの相反する作用を持つ。第一に、風上方向の音影域(shadow zone)にエネルギーの一部を回り込ませ、屈折理論のみでは到達しないはずの領域にも音を部分的に届かせる効果がある。第二に、ダクト内に捕捉された音のエネルギーの一部をダクト外へ散逸させ、ダクト伝搬の効率を低下させる効果がある。
洋上環境では、海面の空力粗度が陸上に比べて極めて小さいため、大気乱流の強度は陸上環境と比較して著しく弱い。このことは、洋上ではダクトからのエネルギー散逸が小さく、ダクト伝搬がより効率的に持続することを意味する。同時に、洋上では地形遮蔽がほとんど存在しないため、音波は障害物による減衰を受けず、長距離伝搬しやすい条件が整っている。
以上のように、幾何減衰、大気吸収、地面効果、回折、風速勾配、温度勾配、安定成層、大気乱流散乱、および海上特有の境界層特性が、受音点での音圧レベルを総合的に決定する。
屋外音伝搬を正しく評価するためには、伝搬側の物理現象だけでなく、音源そのものの物理的特性を精密に理解する必要がある。音源の設定が不適切であれば、その後の伝搬計算がいかに精密であっても結果は信頼できない。
(1) 音響パワーと音圧の違い 音源の強さは音響パワー \(W\) で定義される。音響パワーレベル \(L_W\) は
で定義される(\(W_0 = 10^{-12}\) W)。重要なのは、音響パワーは音源固有の量であり、距離に依存しないという点である。受音点での音圧は、この音響パワーが空間中で減衰した結果である。したがって、伝搬計算の出発点は正確な音響パワーの設定である。
(2) 単一の dB(A) 値では不十分な理由 風力発電機の騒音はしばしば単一のA 特性音響パワーレベル(例:\(L_{WA} = 118\) dB)で示される。しかし、音の伝搬は周波数依存性を持ち、大気吸収および地面効果も周波数ごとに異なる。総合レベルは
で定義されるため、同じ総合 dB 値であっても、周波数分布が異なれば伝搬後の音圧分布は大きく変化し得る。したがって、物理的に整合的な予測には1/3 オクターブバンド等の周波数別音響パワースペクトルが必要である。
(3) 空力騒音の発生機構 大型風力発電機における主要な騒音源は機械騒音ではなく、ブレード周りの流れに起因する空力騒音である。主な発生機構としては、後縁乱流騒音(trailing edge noise)、境界層の剥離に伴う乱流圧力変動、およびブレード先端に形成される先端渦などが挙げられる。
空力騒音は双極子型音源として近似されることが多く、その音響パワー \(W\) はブレード周りの代表流速 \(U\) の高次関数に比例するとされる。一般に、
と表され、指数 \(n\) は概ね 4〜6 の範囲にあると報告されている。ここで \(U\) は地上基準風速そのものではなく、ブレードに対する相対流速(回転速度による周速と自由流風速の合成速度)を意味する。したがって、風速の増加および回転数の上昇に伴い、音響パワーは非線形的に増大する。このような性質により、風力発電機の音響出力は風速条件に強く依存し、最大出力付近では音響パワーが急激に増加する。一方で、定格風速を超える領域では出力制御(ピッチ制御等)により音響出力の増加は抑制される傾向にある。
(4) 出力と風速の関係 風力発電機の発電出力は、定格風速未満の領域(いわゆる Region II)では、ハブ高さにおける自由流風速 \(U\) のおおよそ三乗に比例することが知られている。すなわち、
と近似される。
定格風速を \(U_r\)、定格出力を \(P_r\) とすれば、定格未満の風速域では
と表すことができる。
この関係は、風車が空気流から取り出す運動エネルギーが風速の三乗に比例することに由来する。そのため、年間平均風速が定格風速より有意に低い場合には、年間平均出力は定格出力の数十%程度にとどまることが一般的である。
一方、定格風速を超える領域(Region III)では、出力は制御によりほぼ一定に保たれるため、上式は適用されない。
(5) 公表スペクトルの風速条件と補正の必要性 利用可能な風車の周波数別音響パワーデータは、多くの場合、最大出力または定格風速付近での運転条件に対応している。これは、メーカーが保証値や設計最大騒音値を提示する際に、最も保守的な運転状態を基準とするためである。しかしながら、実際の年間風況においては、風車が常時定格付近で運転しているわけではない。特に年間平均風速は定格風速より低いことが一般的であり、音響出力もそれに応じて変動する。空力騒音の音響パワーは、各周波数帯 \(f\) において
と近似できると仮定する。ここで \(C(f)\) は周波数依存係数、\(U\) はブレードに対する代表流速、\(n\) は速度依存指数(概ね 4〜6 の範囲)である。風速が \(U_1\) から \(U_2\) に変化した場合、音響パワー比は
となる。このとき周波数依存係数 \(C(f)\) は相殺され、変化率は周波数に依存しない。音響パワーレベルは\(L_W = 10 \log_{10} W\)で定義されるため、レベル差は
と表される。したがって、指数 \(n\) が周波数に対して大きく変化しない限り、各周波数帯の音響パワーレベルは同一量 \(\Delta L_W\) だけ増減し、
と近似できる。伝搬計算は周波数帯ごとに線形に作用するため、各帯域の音圧レベルも同一量だけ変化し、総合レベルも
となる。
以上より、主要騒音源が空力起源の広帯域騒音であり、速度依存指数 \(n\) が周波数帯間で大きく変動しない範囲においては、運転風速の違いを近似する方法としてスペクトル全体を一定量シフトすることは物理的および数学的に整合的な近似である。