いすみ市沖洋上風力プロジェクト 騒音影響評価← 前へ目次次へ →

4.騒音規制の現状:日弁連意見書に基づく検討

本章は技術的な音響分析ではなく、日本の騒音規制の法的枠組みに関する検討である。日本弁護士連合会(日弁連)が公表した意見書の原文を長めに引用するが、これは日弁連自身の言葉でその問題意識の深刻さを正確に伝えるためである。技術的な分析については第5章以降で行う。

事業者は環境影響評価において国の基準やガイドラインの遵守を前提としている。しかし、その基準自体の妥当性については、法律の専門家から深刻な疑問が呈されている。

日本弁護士連合会(日弁連)は、2013年、2022年、2025年の3回にわたる意見書において、現行の騒音規制基準の不備を指摘し、法改正を求めてきた。特に注目すべきは、日弁連が単に制度運用の改善を求めているのではなく、評価基準そのもの(A特性の使用)、離岸距離の基準、および法的枠組みの根本的な見直しを求めている点である。さらに、2024年10月4日の日弁連人権擁護大会決議においても、風力発電・太陽光発電事業を住民への影響が最小限となる地域に立地すべきとの提言がなされており9、この問題に対する日弁連の認識は意見書の枠を超え、正式な組織決議のレベルにまで引き上げられている。

本章では、日弁連が公表した3つの重要な意見書(2025年、2022年および2013年)に基づき、現行の規制枠組みにおける課題を整理する。以下、日弁連の主張を原文の引用とともに示す。

4.1【2025年意見書】A特性評価の不適切性と規制の欠如

2025年8月21日、日弁連は「メガソーラー及び大規模風力発電所の建設に伴う、災害の発生、自然環境・景観の破壊及び生活環境への被害を防止するために、更なる法改正等による対応を求める意見書」を公表した。この意見書は、風力発電の騒音評価において最も重要な問題であるA特性の限界を正面から批判した点で、本書の分析と直接的に関連する。

なお、2025年意見書は、政府が環境影響評価制度の規制緩和を推進しつつある状況下で発出されたものである。日弁連は、各地で被害が拡大しているにもかかわらず「環境影響評価の迅速化」が優先される現状に対し、「環境破壊を抑制するために不可欠」な制度強化こそが急務であると警告している10。

4.1.1A特性評価への批判

日弁連は、環境省が騒音評価に用いるA特性の問題を以下のように明確に指摘している。

「風力発電所の騒音に対する環境省の上記指針は、騒音の評価尺度をA特性とするとしているが、A特性は、人の耳の感覚に近づけるべく、低い周波数帯の音には感度を低く考慮するなどの補正を行った評価尺度であり、低い周波数のレベルが大きく下がってしまうなど、低周波音の影響を正確に考慮できない。『低周波音問題対応の手引書』では、評価尺度を、1/3オクターブバンド音圧レベル、G特性音圧レベルとしている点からも、同指針を低周波音の評価指針と考えるのは適切ではない。」11—日弁連2025年意見書 第2・6(2)項

この指摘は、本書第12章で詳細に分析したC特性とA特性の乖離(受音点で21~32 dBに達する)と完全に一致する。日弁連は法律の立場から、筆者が示す結論と同じ問題を指摘しているのである。

4.1.2環境省の指針と手引書の内部矛盾

さらに日弁連は、環境省の指針自体の科学的根拠の不十分さに加え、環境省内部の文書間に存在する重大な矛盾を指摘している。この論点は極めて重要である。

環境省は2017年の「風力発電施設から発生する騒音に関する指針」において、「風力発電施設から発生する騒音が人の健康に直接的に影響を及ぼす可能性は低い」、「風力発電施設から発生する超低周波音・低周波音と健康影響については、明らかな関連を示す知見は確認できない」との見解を示した12。この指針は、事業者や自治体が住民への説明の際に繰り返し援用するものである。

しかし日弁連は、同じ環境省が別の文脈で公表した文書がこの指針と矛盾することを指摘している。すなわち、環境省は2004年6月に「低周波音問題対応の手引書」を公表し、低周波音による心身に係る苦情への対応のための評価指針として「参照値」を示している13。さらに2017年12月27日には、「低周波音問題対応の手引書における参照値の取扱いについて」において、以下の通知を発出している。

「低周波音に関する感覚については個人差が大きく、参照値以下であっても、低周波音を許容できないレベルである可能性が10%程度ではあるが残されているため、個人差があることも考慮し判断することが極めて重要である。」14—環境省 参照値通知(2017年12月27日)

日弁連はこの矛盾を以下のように総括している。

「このように、風力発電所から発生する低周波音について健康影響がないかのような印象を与える環境省の指針は、健康影響があることを前提としている『低周波問題対応の手引書』や『低周波音問題対応の手引書における参照値の取扱いについて』の通知書と矛盾している。」—日弁連2025年意見書 第2・6(2)項

つまり、環境省は一方では「風車騒音の健康影響は確認できない」と述べながら、他方では「参照値以下でも10%の人が許容できない可能性がある」と認めている。事業者が環境アセスメントで前者のみを引用し「健康への影響はない」と説明することは、環境省自身の通知にすら反している。

さらに日弁連は、環境省の指針自体の科学的根拠について以下のように断じている。

「以上のような環境省の指針は、国内外の新たな科学的知見に基づいて十分に検討されたものではないため、現時点での根拠とはなり得ない。また、指針値や評価の仕方などが確定していないため、リスクが不確実でも、特に健康被害については、重大な影響を回避することを原則として行動すべきであるとの指摘がある。現状では風力発電所に対する騒音の上限値がないことも問題である。」—日弁連2025年意見書 第2・6(2)項

4.1.3法的規制の不在

日弁連は、現行の環境省基準が法的拘束力を持たないことを繰り返し問題視しており、ガイドラインではなく遵守義務のある「法的規制」への格上げが不可欠であると主張している。2025年意見書の「意見の趣旨」第7項では明確に次の措置を求めている。

「風力発電による騒音・低周波音被害の実態把握を行うとともに、被害拡大を防ぐため、実態調査の結果を踏まえた騒音レベルの上限規制及び住家からの離隔距離規制等の規制措置を設けるべきである。」—日弁連2025年意見書 意見の趣旨第7項

にもかかわらず、環境省の取り組みは極めて消極的である。日弁連は、環境省が近年実施したのは2019年度と2023年度の文献調査のみであり、「騒音・低周波音の問題について本腰を入れて取り組む姿勢は見られない」と厳しく批判している15。

4.1.4洋上風力発電の近距離設置への批判

2025年意見書は、日本の洋上風力発電計画における離岸距離の問題を国際比較の観点から厳しく批判している。

「日本の洋上風力発電の大きな特徴は、海外と比べて海岸からの距離である離岸距離が極めて近いことである。例えば、山形県の遊佐町沖では、海岸から1海里(=1852メートル)離れた場所で、1基10メガワットの風車を約50基設置する計画がある。これに対し、欧州や中国の洋上風力発電所の離岸距離は、10から20キロメートル以上とすることが標準的となっている。」16—日弁連2025年意見書 第2・6(3)項

4.1.5沿岸住民の手続的排除

さらに2025年意見書は、離岸距離の問題に加えて、沿岸住民が意思決定プロセスから制度的に排除されている問題を指摘している。再エネ海域利用法に基づく大規模洋上風力計画では、協議会を経て事業計画地が決定されるが、日弁連は以下のように述べている。

「沿岸部に居住する住民が利害関係者として協議会に参加することは想定されていない。住民が低周波音被害を受けないように、離岸距離について意見を述べられる手続の確保が不可欠である。」—日弁連2025年意見書 第2・6(3)項

そして日弁連は、以下の強い表現で警告を発している。

「騒音・低周波音被害の実態を把握しないまま、離岸距離2キロメートル程度のところに巨大な風車が建設されれば、大きな公害問題になるおそれがある。『公害の防止』を任務とする(環境省設置法第3条)環境省が、この問題に真剣に取り組まないことは、省の存在意義を失わせる行為と言わざるを得ない。」—日弁連2025年意見書 第2・6(4)項

4.2【2022年意見書】乱開発防止と地域共生のための法改正要求

2022年11月16日、日弁連は「メガソーラー及び大規模風力発電所の建設に伴う、災害の発生、自然環境と景観破壊及び生活環境への被害を防止するために、法改正等と条例による対応を求める意見書」を公表した。この意見書は、2025年意見書の直接的な前身であり、全国で深刻化する再エネ開発と地域住民の対立を受けて、森林法・環境影響評価法等の改正を具体的に提言した。

「現在、全国各地において、1メガワット以上の出力を持つ大規模太陽光発電所(中略)及び大規模風力発電所の建設に伴い、山林の崩落等の災害、自然環境と景観の破壊及び地域住民の生活環境の侵害等の著しい被害が発生し、あるいは今後発生する懸念のある事例が多数見られる状況にある。」—日弁連2022年意見書 前文

2022年意見書が公表された後も、国の法改正による対応は不十分なまま推移した。その結果、2025年意見書が公表される時点で、独自の規制条例を制定した市町村は300を超えるという異例の事態に至っている17。国の制度がその本来の機能を果たしていれば、これほど多くの自治体が独自に条例を設ける必要はない。この事実自体が、規制の不備を端的に示している。

ただし、これら300を超える条例の大半はメガソーラー(大規模太陽光発電所)を対象としたものであり、風力発電を明示的に規制対象とする条例はきわめて少ない。地方自治研究機構の調査(2025年12月時点)によれば、太陽光のみを対象とする条例が196件、風力等を含む再エネ全般を対象とする条例が140件であるが、風力発電に特化した条例は全国でわずか5自治体(稚内市、美浜町、大間町、にかほ市、吉賀町)にとどまる。このうち稚内市・美浜町・大間町の3件は小型風力を対象としたものであり、大型風力発電所の騒音や離隔距離を規制する条例はにかほ市と吉賀町の2件のみである。にかほ市の条例(令和5年4月施行)はゾーニングマップに基づく設置区域の指定と事前届出を定めたものであり、騒音の数値基準や住居からの最低離隔距離を定めたものではない。すなわち、太陽光については地方自治体が独自に規制の穴を埋めようとしているのに対し、風力発電(とりわけ今後急拡大が見込まれる大型洋上風力発電)については、国にも地方にも実効的な騒音規制が存在しないという空白状態にある。

4.3【2013年意見書】低周波音被害に関する12年間の不作為

2013年12月20日に公表された「低周波音被害について医学的な調査・研究と十分な規制基準を求める意見書」は、全25頁にわたり、風力発電施設から発生する低周波音による健康被害の問題を日弁連として初めて正面から包括的に取り上げた文書である。

この意見書は、2000年代から全国の風車建設地で住民が不眠、頭痛、耳鳴りなどの被害を訴えてきた実態を踏まえ、以下を国に対して求めた。

「当連合会は、2013年12月20日付けで『低周波音被害について医学的な調査・研究と十分な規制基準を求める意見書』を公表し、被害者の実態を踏まえた調査や健康被害の防止に足りる規制基準の作成等を求めた。」—日弁連2025年意見書 第2・6(1)項

具体的には、2013年意見書は以下の根本的な問題を指摘していた。政府はA特性(人間の耳に聞こえやすい周波数帯に重み付けした評価尺度)による騒音レベルのみを評価基準としているが、風車から発生するのは、耳には聞こえにくいが身体に振動として伝わる超低周波音(20 Hz以下)や低周波音である。日弁連は、既存の「騒音規制法」の枠組みでは、この被害を適切に評価できないと指摘し、医学的・疫学的な調査の実施と、低周波音を含む規制基準の新設を要求した。

最も深刻な問題は、この2013年意見書で要求された措置が、12年以上を経た現時点でもなお実施されていないことである。2025年意見書自体がこの点を明記している。すなわち、日弁連は12年前に「被害者の実態を踏まえた調査」と「健康被害の防止に足りる規制基準の作成」を求めたにもかかわらず、政府は騒音・低周波音の上限規制も住家からの離隔距離規制も導入していない。この間にも風力発電の大型化と建設の加速は進み、住民の懸念と被害の訴えは増大している。

予防原則の観点からは、科学的証明が完了する前であっても、被害の合理的な懸念がある場合には予防的措置を講じることが国際的な環境法の基本的考え方とされている。日弁連が12年にわたって繰り返し要求してきた規制措置が放置されたまま、さらに大規模な洋上風力発電計画が推進されている現状は、この予防原則に真っ向から反するものである。

4.4結論:「基準内」が安全を意味するとは限らない

日弁連の3つの意見書(2013年、2022年、2025年)および2024年人権擁護大会決議を総括すると、以下の構造的問題が浮かび上がる。

事業者が環境アセスメントで用いる説明は「国の指針(ガイドライン)を守っているから安全です」というものである。しかし法的な現実は、「その指針自体が不十分であり、健康被害を防げないから法改正せよ」と、法律の専門家集団(日弁連)が国に対して12年以上にわたり繰り返し警告しているのである。

具体的には以下の4点が深刻である。

(1)評価手法の問題:A特性は低周波音を構造的に過小評価する評価尺度であり、日弁連は「低周波音の影響を正確に考慮できない」と明言している。本書の音響分析が示すC-A差(21~32 dB)はこの指摘を定量的に裏付ける。

(2)環境省内部の矛盾:環境省は2017年の指針で「健康影響の可能性は低い」としながら、同年の参照値通知では「参照値以下でも許容できない可能性が10%残る」と認めている。日弁連はこの矛盾を「健康影響があることを前提としている手引書と矛盾している」と指摘しており、事業者が前者のみを引用して「安全」を主張することは、環境省自身の通知にすら反する。

(3)離岸距離の問題:欧州・中国では10~20 km以上が標準であるのに対し、日本では2~3 kmの近距離設置が計画されている。日弁連は「離岸距離2キロメートル程度のところに巨大な風車が建設されれば、大きな公害問題になるおそれがある」と警告している。さらに、再エネ海域利用法の下では沿岸住民が協議会に利害関係者として参加することすら想定されておらず、最も影響を受ける住民が離岸距離の決定に関与できないという制度的欠陥がある。

(4)法的枠組みの問題:ガイドラインに過ぎない指針には法的拘束力がなく、遵守義務がない。300を超える市町村が独自の規制条例を制定せざるを得なかった事実が、国の制度の不備を端的に示している。そして国は、このような状況下においてなお、環境影響評価制度の強化ではなく規制緩和の方向に進もうとしている。

つまり、いすみ市沖の計画において環境アセスメントで提示されうる「環境基準の遵守」は、「不十分な基準への適合」に過ぎず、住民の健康を守る保証にはなり得ない。

参考文献・リンク

本章の記述は、日本弁護士連合会(JFBA)の以下の公式見解に基づいている。

9日弁連2025年意見書 1頁。人権擁護大会決議の提言理由では「住民の生活圏に極めて近い位置に大量の風力発電機を設置する計画は、地域住民の健康被害や漁業への影響が懸念される」と指摘されている。
10日弁連2025年意見書 第2・5項。
11環境省「低周波音問題対応の手引書」。
https://www.env.go.jp/air/teishuha/tebiki/index.html
12環境省水・大気環境局長「風力発電施設から発生する騒音に関する指針について」2頁。
https://www.env.go.jp/air/noise/wpg/shishin_H2905.pdf
13環境省環境管理局大気生活環境室「低周波音問題対応の手引書」。
https://www.env.go.jp/air/teishuha/tebiki/index.html
14環境省水・大気環境局大気生活環境室「低周波音問題対応の手引書における参照値の取扱いについて」。
https://www.env.go.jp/air/teishuha/tebiki/attach/H291227jimurenraku.pdf
15日弁連2025年意見書 第2・6(4)項。
16一般社団法人電力中央研究所「再エネ海域利用法を考慮した洋上風力発電の利用対象海域に関する考察」(2019年11月)。
https://criepi.denken.or.jp/jp/serc/research/files/46/pdf/Y19502.pdf
17日弁連2025年意見書 4頁。全国300を超える市町村が条例を制定したということは、国の法規制が住民保護に不十分であることを、基礎自治体が個別に補完せざるを得ない状況を意味する。