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5.日本の風力発電騒音規制と予測制度:基準の構造的弱点と事業者の裁量

本章ではまず、日本における風力発電騒音の規制基準を整理する(第5.1節)。その上で、事業者がこの基準への適合をどのように予測するかについて、モデル選択の裁量と技術的限界を検討する。

5.1日本における風力発電騒音の規制基準

日本には風力発電騒音に特化した法的拘束力のある数値基準は存在しない。以下に、事業者が環境影響評価において参照する主な基準・指針を整理する。

5.1.1環境基本法に基づく環境基準(1998年告示、2012年改正)

環境省が告示する一般環境騒音の基準であり、風力発電に特化したものではない。A特性の等価騒音レベル(\(L_\mathrm{Aeq}\))で規定される。住居専用地域では昼間55 dB(A)、夜間(22時〜6時)45 dB(A)が上限とされている。この基準は法的拘束力のある「環境基準」ではあるが、達成義務を伴う「規制基準」ではなく、「維持されることが望ましい基準」と位置づけられている。

5.1.22017年環境省指針:「風力発電施設から発生する騒音に関する指針」

風力発電騒音に対する唯一の専門的指針であるが、法的拘束力はない。評価量はA特性の等価騒音レベル(\(L_\mathrm{Aeq}\))のみであり、C特性・G特性・帯域別評価は求められていない。

目標値は「残留騒音\(+5\,\text{dB}\)」を基本とし、残留騒音が低い場合の下限として地域類型に応じて35 dB(A)または40 dB(A)が設定されている。いすみ市沿岸のような住居地域では、夜間の目標値は概ね40〜45 dB(A)の範囲に収まる。

評価に用いる騒音レベルの算出方法も重要である。環境省の測定マニュアルによれば、毎正時に10分間の\(L_\mathrm{Aeq}\)を測定し、これを基準時間帯(昼間:6時〜22時、夜間:22時〜翌6時)にわたってエネルギー平均する。さらに、この基準時間帯ごとの値を複数の測定日(最低3日間)にわたってエネルギー平均した値が最終的な評価値となる。すなわち、夜間の評価値は、最大8時間×複数夜にわたる平均である。ある特定の時間帯(たとえば夏季深夜の安定大気条件下)に騒音が著しく高くなっても、同じ夜の他の時間帯や他の夜の静かな時間帯と平均化されるため、評価値に十分に反映されない構造になっている。

重要な特徴として、超低周波音(20 Hz以下、インフラサウンド)については「健康影響との明確な因果関係は認められない」として評価対象から除外されている。低周波音(20〜200 Hz)についてもA特性の合計値のみで評価されるため、帯域別の影響は制度上捉えられない。

5.1.3環境省「低周波音問題対応の手引書」(2004年)および参照値通知(2017年)

環境省が低周波音苦情への対応のために策定した文書であり、1/3オクターブバンド別の「参照値」を示している。心身に係る苦情に関する参照値は10〜80 Hzを対象とし、たとえば50 Hzで52 dB、63 Hzで47 dB、80 Hzで41 dBである(Z特性)。しかし、風力発電の環境影響評価においてこの参照値との照合は義務付けられていない。日弁連はこの点を「環境省内部の矛盾」として批判している(第4章参照)。

さらに環境省自身が2017年の通知で「参照値以下であっても、低周波音を許容できないレベルである可能性が10%程度残されている」と認めている。

5.1.4規制基準の構造的特徴

以上を総合すると、日本の風力発電騒音規制には以下の構造的特徴がある。(1)A特性のみで評価するため、低周波エネルギーの大部分が数値に反映されない。(2)等価騒音レベル(\(L_\mathrm{Aeq}\))を8時間×複数夜にわたって平均するため、特定の時間帯の深刻な騒音がピークも脈動も平均化されて見えなくなる。(3)低周波音の帯域別参照値が存在するにもかかわらず、風力発電の評価では制度上適用されない。(4)C特性やG特性による補完的評価が求められていない。これらの特徴が、第12章で示す計算結果の解釈において重要な意味を持つ。

5.2規制の枠組みと事業者の裁量

5.2.1予測モデル選択の自由度

環境影響評価法のもとで、事業者は特定の音響伝搬モデルに従う法的義務を負っていない。「一般的に認知された」手法であれば、どのモデルを使うかは事業者が自由に選択できる制度となっている。

欧州では、風車の大型化に合わせて予測手法の要件を更新し、洋上特有の物理現象を扱える高度なモデルの使用を義務付ける方向に進んでいる。これに対して日本の制度は、使えるモデルの種類を限定していないため、計算手法の選択が事業者の判断に委ねられており、モデルによって予測結果が異なりうる構造になっている。

5.2.22017年環境省指針による評価基準

第5.1節で整理した通り、2017年環境省指針はA特性の等価騒音レベルのみで風力発電騒音を評価する。この指針のもとで事業者が達成すべき目標値は「残留騒音\(+5\,\text{dB}\)」(下限35〜40 dB(A))であり、低周波帯域の個別評価は求められていない。

5.3利用される予測モデルとその技術的限界

洋上風力の騒音予測にあたって、日本の事業者は主に「NEDO式」か「ISO 9613-2」のいずれかを選んでいる。どちらも洋上の大型風車を想定して設計されたモデルではない。

5.3.1NEDO式(2006年)

「NEDO式」は、2006年に国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)が策定した「風力発電のための環境影響評価マニュアル(第2版)」に基づく手法である。当時主流だった出力1〜2 MW程度の陸上小型風車を想定して構築された簡略化モデルであり、現在も適法な予測手法として利用されている。

NEDO式には、現在の大型洋上風車への適用において、いくつかの技術的な制約がある。

第一に、ローター直径が250 mを超えるような巨大な洋上風車であっても、空間に浮かぶ「大きさのない一つの点(点音源)」として扱う。実際の風車は、長さ100 mを超えるブレードが上下に回転しながら広い範囲から音を発しているが、NEDO式ではその空間的な広がりが完全に無視される。

第二に、周波数帯域ごとの分析を求めない。風車メーカーが提供する「単一のA特性音響パワーレベル(dB(A))」(つまり、すでにA特性フィルタで低い音が差し引かれた後の一つの数値)だけを計算の出発点とする。これでは、低い音にどれだけのエネルギーがあるかを知る手がかりが最初から失われている。

第三に、音が空気中を伝わるときの吸収(大気吸収)を単一の一定係数で計算する。実際には、高い音は空気に強く吸収されて遠くまで届かず、低い音はほとんど吸収されずに何キロメートルも先まで届く。この周波数による大きな違いが、一つの固定値で丸められてしまう。

こうした簡略化の結果、NEDO式の枠組みでは、低周波の音がどれだけ遠くまで届くかを把握するために必要な周波数スペクトル分析が、制度上求められていない。

5.3.2ISO 9613-2

NEDO式より精度の高い選択肢として、国際標準化機構が定める屋外音響伝搬モデル(ISO 9613-2)がある。オクターブバンド分析(周波数帯域ごとの計算)を行う国際的に認知された手法であり、NEDO式に比べれば物理的にずっと精密である。しかし、洋上風力に使う場合にはいくつかの重要な限界がある。

第一に、ISO 9613-2 はもともと陸上での音の伝わり方を計算するために作られたモデルであり、海のように音をほぼ完全に反射する硬い表面を想定していない。事業者は海面に対する地表面係数(\(G\))を自分で設定する裁量を持っている。この値の選び方だけで予測値は数dB変わる。物理的には海面は\(G=0\)(硬い反射面)が妥当であるが、\(G=0.5\)(混合地面)を選べば予測値はその分低くなる。第6章の検証で示すとおり、この設定の違いが予測結果に具体的にどう影響するかは無視できない。

第二に、ISO 9613-2 は「適度な順風条件」(moderate downwind conditions)を前提としており、洋上で頻繁に起きる強い風速勾配(高度150 mのハブ付近で強風、海面付近で弱風)による音波の下方屈折の増幅を考慮する仕組みがない。

第三に、このモデルには「音源の条件」と「伝搬の条件」の間に本質的な矛盾がある。風車が最も大きな騒音を出すのは定格出力に達する強風時(風速8〜10 m/s以上)であり、事業者はこの最大騒音を計算の出発点に使う。ところがISO 9613-2 の伝搬計算は、風速1〜5 m/sの穏やかな気象条件を前提に構築されている。つまり、「猛烈な風で発生した最大の騒音」が「穏やかな微風の中を伝わる」という、実際の気象条件とは必ずしも対応しない組み合わせで計算が行われることになる。

第四に、日本の指針がA特性での最終評価を求めているため、たとえISO 9613-2 で帯域ごとに精密な計算を行っても、最終報告ではA特性補正後の単一値に集約されてしまう。せっかく周波数ごとに見えていた低周波の影響が、最終段階でフィルタにかけられて数値から消えるのである。

なお、ISO 9613-2 の枠組み内ですら、提出資料の予測値が標準的な条件で再現できるかどうかについては、第6章で定量的に検証する。結果として、地面効果の無視や年間平均を上回る高温高湿条件の仮定など、複数の有利な仮定を重ねなければ提示値に近づかないことが示される。

5.4洋上環境における音響伝搬の物理的特性

洋上での音の伝わり方は、陸上とは根本的に異なる。NEDO式やISO 9613-2 が考慮していない主な現象を以下に整理する。

5.4.1海面反射

陸上には森林や草原など、音を吸収する表面がある。しかし海面にはそうした吸音効果がなく、音波は水面で鏡のように反射する。ISO 9613-2 で地面係数\(G=0\)(硬い地面)を設定すれば近似的に反映できるが、前述のとおり事業者がこの値を採用する義務はない。

5.4.2風速の鉛直分布と下方屈折、そしてダクト効果

洋上では、高度150 mのハブ付近でタービンが定格稼働するほどの強風が吹いている一方、海面付近では風が弱く穏やかであるという、大きな風速差(鉛直シア)が頻繁に発生する。音波は風速の速い場所から遅い場所に向かって曲がる性質があるため、上空のブレードで発生した音は、風速の遅い海面方向に下向きに屈折する。

これに加えて、冷たい海面の上に暖かい空気が流れ込むことで「気温逆転層」がしばしば形成される。音は暖かい空気中では速く、冷たい空気中では遅く進むため、上空の暖かい層は音波をさらに下向きに曲げる。

この2つの効果が重なると、音波は海面と逆転層の間に閉じ込められ、あたかもトンネルの中を進むように海面上を伝搬する。これが「ダクト効果」と呼ばれる現象である。ダクトに閉じ込められた音は、通常の球面拡散(距離が倍になるたびに6 dBずつ弱まる)よりもはるかにゆっくり減衰し、円柱拡散に近い伝搬(距離が倍になっても3 dBしか弱まらない)へと移行する。特に低い音はこのダクト内を非常に効率よく伝わるため、予測をはるかに超える距離まで到達しうる。

ISO 9613-2 やNEDO式には、このダクト効果を計算に取り入れる仕組みがない。本書の第11章のシミュレーションでは、この効果を含めた計算を行う。

5.4.3背景騒音の低下とマスキング効果の喪失

ダクト効果が起きやすい条件(海面付近の風が弱い条件)では、波もおだやかになり、周囲の背景騒音が下がる。ふだんなら波の音が風車騒音をある程度かき消してくれる(マスキング効果)のだが、海が静かになるとその効果が失われる。

つまり、上空の強風で風車が最大の騒音を出し、その音が海面近くの弱風と気温逆転によってダクトに閉じ込められて効率よく伝わり、到達先では波の音という「遮蔽役」が消えて静寂の中に風車の低い音だけが響くという洋上特有の条件が同時に成立する。

5.5ISO 9613-2 の限界を超える高度な音響伝搬モデル

前節で述べた海面反射、風速勾配による下方屈折、ダクト効果はいずれも、ISO 9613-2 やNEDO式では扱えない。欧州では、これらの現象を物理的に取り扱うモデルが開発され、洋上風力の騒音予測に実際に使われている。主なモデルを以下に紹介する。

5.5.1Nord2000(北欧共同開発モデル)

Nord2000は、北欧5カ国(デンマーク、スウェーデン、ノルウェー、フィンランド、アイスランド)が共同で開発した屋外音響伝搬モデルで、DELTA(現FORCE Technology)が開発の中心を担った。光線追跡法と呼ばれる手法に基づき、以下の物理的要素を計算に取り込む。

Nord2000は風車騒音への適用で大規模な検証が行われており、風下方向においてISO 9613-2 より有意に高い精度が確認されている。特に、音源の高さが大きい場合(風車のハブ高さ80〜150 m)において、ISO 9613-2 が系統的に過小評価する傾向がデータにより示されている。デンマークの現行規制(BEK 135)では、Nord2000 を基礎とした手法が法定の計算方法として採用されている。

5.5.2放物型方程式法(Parabolic Equation, PE法)

放物型方程式法は、風速・気温の空間分布をそのまま入力として音場を数値的に解く手法である。Nord2000 が音速プロファイルをある程度近似的に扱うのに対し、PE法はどのような大気条件にも対応できるため、複雑な気温逆転層やダクト構造の影響をより忠実に再現できる。計算コストはNord2000 より高いが、気温逆転が強い洋上環境や、3 kmを超える長距離伝搬でのダクト効果を評価するにはPE法がより適切な精度を提供する場合がある。

5.5.3Harmonoiseモデル

HarmonoiseはEU共同研究プロジェクトとして開発された伝搬モデルであり、地面効果、大気屈折、大気安定度の影響を物理的に取り扱う。フランスにおける風車騒音の疫学調査(RIBEolHプロジェクト)では、ISO 9613-2 やNMPB-2008 よりも予測精度が高いとして、このモデルが選択された実績がある。

5.5.4SoundSim 360(ウプサラ大学、3次元有限差分法)

SoundSim 360 は、スウェーデン・ウプサラ大学の Mattsson らが開発した高精度音響シミュレーションツールである。3次元空間における波動方程式を直接数値的に解くという、上記のモデルとは根本的に異なるアプローチを採る。Nord2000 の光線追跡法やPE法の近似とは違い、現実の3次元地形データと大気構造をそのまま計算に取り込むことができる。

このツールをスウェーデン国内の風力発電所の実測データと照合した結果、Nord2000 を含む既存のモデルが、特に低周波帯域や超低周波音(インフラサウンド)において実際の音圧レベルを系統的に過小評価していることが示された。この知見の詳細と規制上の意味については第5.6.3節で述べる。

5.5.5CNOSSOS-EUおよびNMPB-2008

CNOSSOS-EU(Common Noise Assessment Methods in Europe)は、EU指令に基づき2019年以降のEU加盟国における騒音マッピングの共通手法として義務付けられた計算方法である。気象条件を「均一条件」と「伝搬有利条件」の2段階に分けて長期平均を算出する。フランスの国内手法NMPB-2008も同様のアプローチを採る。ISO 9613-2 より気象の影響を体系的に扱うが、Nord2000 やPE法ほど物理的に詳細ではない。

以上のように、ISO 9613-2 の限界は欧州の研究・規制コミュニティで十分に認識されており、それを補う複数のモデルが開発・検証・実用化されている。次節では、これらのモデルが各国の規制にどう反映されているかを整理する。

5.6国際比較:欧州における規制の動向

欧州の洋上風力先進国では、「どのモデルを使って計算するか」は規制当局が決める事項であり、事業者が自由に選ぶことはできない。この点は、「一般的に認知された手法」であれば事業者の裁量で選べる日本の制度と根本的に異なる。

たとえばデンマークでは、法定規則(BEK 135)が計算方法の具体的な中身(Nord2000 に基づく手法、洋上伝搬に対する+3 dBの地面補正、ISO 9613-1 に基づく10 °C・80%の大気吸収係数)を明示的に指定しており、事業者がこれと異なるモデルや前提条件を使う余地はない。オランダでは年間の気象データを統計的に反映した計算が求められ、EU加盟国全体ではCNOSSOS-EU手法の使用が指令で義務付けられている。

すなわち欧州では、事業者は規定された方法に従って計算し、その結果を報告する。日本では、モデル選択から前提条件の設定まで事業者に委ねられているため、同じプロジェクトでも事業者によって予測値が大きく異なりうる構造になっている。

5.6.1デンマーク:ダクト現象を契機とした規制改正

デンマークにおける初期の洋上風力プロジェクトでは、まさに現在の日本で使われているISO 9613-2 に準拠した標準的なモデルで騒音予測が行われていた。しかし風車が動き始めると、気温逆転層と海面反射の連続(多重反射)によるダクト現象が原因で、沿岸住民から想定を大きく超える低周波騒音の苦情が相次いだ。詳しい音響調査の結果、ISO 9613-2 が洋上の伝搬を過小評価していたことが確認された。

この経験を受け、デンマーク環境保護庁(Miljøstyrelsen)は規制を抜本的に改めた。現在の法定規則(BEK 135)では、洋上風力の騒音計算において海面上の多重反射と気象条件による屈折効果を考慮することが義務付けられ、Nord2000 に基づく手法が事実上の標準となっている。さらに2012年には、低周波音(10〜160 Hzの1/3オクターブバンド)に対して、室内のA特性音圧レベル20 dB以下という厳格な法定上限値が新設された。これは風速6 m/sと8 m/sの双方に適用される。

日本の気象条件との関連で注目すべきは、夏季において太平洋の比較的冷たい海水温の上を高温多湿な空気が覆うため、北海やバルト海と同等かそれ以上に強い気温逆転層が形成されうるという点である。デンマークで事後的に判明した問題が、いすみ市沖でも同様に生じる可能性は物理的に否定できない。

5.6.2オランダ:年間統計指標の採用

オランダでは2011年以降、風車騒音の評価にLden(昼・夕・夜の時間帯別重み付けを含む年間平均等価騒音レベル)とLnight(夜間年間平均)が採用されている。法定上限値はLden 47 dB、Lnight 41 dBであり、単一の気象条件ではなく年間を通じた変動を統計的に反映した指標を使う点で、日本のアプローチとは本質的に異なる。

5.6.3スウェーデン:Nord2000の採用と最新研究が示す限界

スウェーデンでは、自然保護庁(Naturvårdsverket)の指針により風車騒音の上限値は住居地点で40 dB(A)(風速8 m/s時、静穏地域では35 dB(A))と定められ、予測計算にはNord2000 の使用が推奨されている。

しかしながら、ウプサラ大学の Mattsson らが開発した SoundSim 360 を用いた最新研究(Mattsson, Eriksson, Persson, Chilo & Tatar, “Efficient finite difference modeling of infrasound propagation in realistic 3D domains: Validation with wind turbine measurements,” Applied Acoustics, 2025)は、そのNord2000 ですら、特に低周波帯域と超低周波音(20 Hz以下)において実際の音圧レベルを過小評価していることを示した。

スウェーデン国内の2つの大型風力発電所における実測データとの照合から、以下の知見が得られている。

この研究成果は、2025年9月に欧州議会請願委員会において報告され、EUの騒音・産業指令の見直しに関する議論のきっかけとなった。

スウェーデンの事例がデンマークと異なる点で重要なのは、「より高度なモデルに切り替えれば問題は解決する」という単純な話ではないことを示している点である。デンマークではISO 9613-2 の限界が認識されてNord2000 に移行したが、スウェーデンの最新研究は、そのNord2000 でも風車の大型化に伴う超低周波音(インフラサウンド)の増大を十分に捕捉できていない可能性を明らかにした。予測モデルの精度向上は終わりのない課題であり、「特定のモデルを採用すれば大丈夫」という固定的な制度設計では対応しきれない。

日本の現行制度は、そのNord2000 よりもさらに簡略化されたNEDO式やISO 9613-2 の使用を許容し、かつ超低周波音(インフラサウンド)を評価対象から明示的に除外している(第5.2.2節参照)。スウェーデンで指摘されている過小評価の問題は、日本ではさらに深刻な形で生じうると考えるのが自然である。

5.6.4欧州における情報開示の特徴

欧州の先進的な規制(特にデンマーク)では、騒音は風の強さや気象条件によって大きく変わるという物理的現実を踏まえ、予測結果を多面的に報告することが求められている。日本のように「特定の一条件での単一の数値」ではなく、さまざまな条件下での影響を一覧できる「データのマトリックス(多次元的な範囲)」としての開示が義務付けられている。

具体的には以下のような要素が含まれる。

このように条件を細かく分けて、それぞれの結果を開示するアプローチにより、事業者が都合のよい単一のシナリオの背後に影響を隠すことが構造的に防がれている。日本では、最終的な予測結果が特定の前提条件に基づく単一のdB(A)値として提示されるのが一般的であり、前提条件を変えれば結果が大きく変わりうることが外部からは見えにくい。

5.7「縦覧期間」制度と第三者検証の制約

日本の環境アセスメント制度には、予測の妥当性を外部から確認することを難しくする構造的な問題がもう一つある。環境影響評価図書の公開期間が限られていることである。

5.7.1限定的な公開期間

環境影響評価の各段階(配慮書、方法書、準備書、評価書)で、事業者は数百ページに及ぶ詳細な評価書をウェブサイト等で公開する。しかし、環境影響評価法のもとでは、この公開は法定の「縦覧期間」(通常30〜45 日程度)に限られている。

縦覧期間が過ぎると、事業者は文書をウェブサイトから削除できる。これにより、どの予測モデルが使われたか、風車の音響パワーレベルの入力値がいくつだったか、海面の反射係数(\(G\))がどう設定されていたか、大気吸収の前提条件は何だったかといった計算の中身が、インターネット上からは参照できなくなる。

5.7.2事後検証への影響

縦覧期間が終わった後に残るのは、「予測値は40 dB(A)を下回る」といった簡略化された要約や結論だけであることが多い。風車が動き始めてから騒音の問題が生じた場合でも、事前の予測でどのような前提が置かれていたのかを外部の専門家や自治体が後から検証することは、実務上極めて困難である。

5.8小括

本章で整理した制度的特徴をまとめると、以下のようになる。

  1. 日本では事業者が予測手法を広い裁量のもとで選べる。欧州では規制当局が計算方法を指定し、事業者はそれに従う義務がある。

  2. 日本で使われているNEDO式とISO 9613-2 は、海面反射、風速勾配による下方屈折、気温逆転によるダクト効果といった洋上特有の現象を計算に組み込む仕組みを持っていない。欧州では、これらの現象を物理的に扱う高度なモデル(Nord2000、PE法、Harmonoiseなど)がデンマークやスウェーデンをはじめとする国々で法定または推奨の手法に採用されている。

  3. さらに、スウェーデンの最新研究(SoundSim 360 による3次元シミュレーション)は、Nord2000 ですら大型風車の超低周波音を過小評価していることを示した。日本はNord2000 よりさらに簡略化されたモデルを許容し、かつ超低周波音(インフラサウンド)を評価対象から除外しているため、この問題はより深刻な形で生じうる。

  4. 最終評価がA特性の単一値に集約されるため、低周波帯域の影響が数値に表れにくい。デンマークでは10〜160 Hzの低周波音に対して室内20 dB以下という独立した法定基準がある。

  5. 欧州では、風速条件ごとの段階的評価や年間気象統計に基づくLden/Lnight算出など、多面的な情報開示が求められる。日本では、特定の前提条件に基づく単一のdB(A)値による評価が一般的であり、この単一値は多様な気象条件下での変動を反映しておらず、最悪条件を代表するものでもない。第6章の検証が示すとおり、提出資料の予測値は年間平均条件でも再現できず、年平均より大気吸収が大きくなる高温高湿条件を仮定しなければ接近できない。つまり、提示される数値は平均的な状況ではなく、伝搬が抑えられる好条件を反映したものとなりうる。

  6. 日本の縦覧期間制度により、予測の前提条件に対する第三者検証が実務上困難である。

なお、以上の制度的枠組みが実際の予測結果にどう影響するかは、第6章でISO 9613-2 の枠組み内での定量的検証を行う。同章では、提出資料に記載された予測値(A案32.0 dB(A)、B案32.6 dB(A))の再現を試みた結果、複数の有利な仮定を重ねなければ提示値に近づかないことが示される。さらに第11章では、ISO 9613-2 では考慮できない風下屈折・ダクト効果等を組み込んだシミュレーションを行い、実際の受音レベルが標準モデルの予測をどの程度上回りうるかを定量的に示す。